【それは、朝日に照らされた椿の夢】
愛らしい小鳥の囀りが窓の外から聞こえる。何時の間にか深く寝入ってしまったらしく小鳥の囀りが耳に届くまで朝の訪れに気がつかなかったらしい。
重い瞼を持ち上げて目を開ける。眠りから覚醒したばかりで視界がまだぼやけているが気にせず、布団から出て立ち上がる。
「しーちゃん?」
昨夜、一緒の布団に入って寝た筈の養い子はどこへ行ったのか。部屋を見回す限り、姿が見当たらない。
将来、一族の医師になると決めた養い子の静輝(しずき)を医師の友人の所で勉学させている。もう、起きてそちらへ行ったのか、と納得し朝餉の準備をしようと台所へ向かう。
(……寂しい、な)
静輝を連れて来るまで独りだったのに一度、他者の温もりを知ると独りでいる事に心が満たされなくなる。
台所へ向かう足取りが酷く重い。
「手折ってしまいたくなるね」
どこにも飛び立てないように、翼を手折ってしまおうか。ずっと、自分の傍にいれば良い…なんて身勝手な気持ちだろう。
台所へ向かう縁側を歩いていると庭が見える。静輝が植えた花々が見事に咲き誇っていた。
まるで、輝く未来の道を進む静輝のように。
(ずっと、私の傍にいれば良い)
静輝は「お父さん」と呼んで、私だけを頼れば良いんだ。他の所になんて行かなくても。医師なんて、目指さなくても。
(最低な父親だ。私は)
あの子に依存し過ぎてあの子の未来を奪おうと考えてしまう。
いずれ、離れて行くのは解っているのに。自分の身体に流れている吸血鬼の不老不死の血があるから、一緒にいようと思えばいられる身体だから。
(静輝)
心の中で名前を呼ぶ。
「光夜(みつや)さん?」
愛しい静輝が自分の名前を呼ぶ声がした。もう、末期で幻聴が聞こえるようになったのかと声がした方を見れば…。
汁をすくう丸い杓子の柄の部分を手にした静輝が台所の開いた引き戸から顔を見せていた。
「おはようございます。丁度、朝餉が出来ましたよ」
そう言って花が咲いたように笑う静輝を見て、泣いてしまった。いい歳をした自分は目から涙を流してしまった。
それに静輝が驚くのは当然な事だ。
「光夜さん!?どこか痛いんですか?」
丸い杓子を放り投げて静輝が駆け寄って来てくれる。静輝の綺麗な紫色の髪が朝日でキラキラと煌めいている。
小さな頃はあんなに小さかったのに今は成長して自分の肩くらいにまで身長が伸びた。
全体的に綺麗になったと感じる。
「しーちゃん、しーちゃん」
こんなに綺麗に育った静輝を男が放って置くわけがない。何時かどこかへ行ってしまうのだろうか。
寂しさを込めて静輝の頭に頬を擦り寄せる。
「どこにも行かないで」
ポロポロと頬を伝って落ちる涙に構わず、静輝に伝えた。「どこにも行かないで」と何度も繰り返して。
みっともなくて身勝手な自分は静輝に「どこにも行かないで」と何度も繰り返す。
独り立ちしないで、大切な人をつくらないでと身勝手に。
「どこにも行きませんよ、光夜さん」
花が咲いたように綺麗にニッコリと静輝は笑う。
「ずっと一緒にいるって約束したじゃないですか」
「お父さんと一緒にいる」と小さい頃の静輝はことある事に言っていたのを思い出す。
あの時と変わらない気持ちを抱いてくれているんだ、とたまらなくなって静輝の華奢で細い身体を抱き締めた。
「朝餉、冷めちゃいますから。食べましょう?」
「うん。しーちゃん、あのね」
静輝の手を握る。愛しい温もりが手から伝わってくる。
「ありがとう」
先程までの暗い気持ちが静輝の笑顔と言葉で晴れていく。
この子の笑顔を守ろう。そして、『その時』が来るまでこの子と一緒にいよう。
それは朝日が庭の椿を照らしている一時の小さなお話。
END
2011-08-08 shisuha sakaki
吸血鬼と呼ばれる人外の一族が日本古来より存在をしていた。
案外、人間が知らないだけでそういう存在はどこにでもいるものだ。
錐夜。そう呼ばれる彼もまた吸血鬼の夜一族と呼ばれる人の姿をした人では無い存在だ。
話は錐夜がまだ子供だった頃。母親に連れられ夜一族が住まう里に来てからほんの数年経ったあと。
人間の子でいうなら10歳ぐらいの身体だった錐夜は諸々の事情から里の者に幽閉され、軟禁生活を強いられていた。
しかし、長の側室が錐夜の後見人な為に多少の不自由さはあるが大して問題のない生活だった。
いつも通り、長の神夜(しんや)の側室である律と他愛もない話と律の子の宵夜の昔話に盛り上がっていたら。
「腹が立つ!」
そう荒げた声音で錐夜の部屋に一人の青年が入ってきた。
青年の名前は鎖夜(さや)。長と正室の息子で長子。
銀の髪を後ろに撫で付け、鋭い目付きの少々強面の青年だ。
そんな夜一族の長の跡取りともっぱら期待されてる鎖夜は正室、つまり自分の実母と仲が悪い。
関係の修復は不可能と言われる程に。
「なあに、またお母様と喧嘩したの?」
未だ少女の面影が残る律は首を傾げる。
鎖夜と正室の仲の悪さは日常茶飯事、顔を会わせれば喧嘩しかしないので律は慣れている。
しかし、里に来て間もない錐夜は律につられて首を傾げて律の顔を見る。
「あ、悪い。錐夜を驚かせたか?」
錐夜の反応に鎖夜はまずいことをしたかと錐夜の隣に膝をついて頭を撫でる。
律から鎖夜へと顔を向けた錐夜は首を横に振る。
「錐夜、気にしなくていいからね。どうせいつもあることだし」
律はそれだけ言うと自分の隣に置いておいたお盆に目をやる。たまに神夜が寄越すお菓子が乗っているのだ。
菓子を包んだ包みを錐夜に渡すと錐夜はそれを素直に受け取る。
「いつも?」
包みを手に錐夜は鎖夜を見る。
「仕方ないだろ、あの人の干渉は酷いんだ」
鎖夜は先程の出来事を思い出したのか、怒りがまた込み上げたらしく錐夜から視線をそらす。
「母親はそういうものよ。私だって宵ちゃんと錐夜に口喧しく干渉してるわ」
心配だから仕方ないのよ、と律は笑う。
「律さんだってあの人とよく喧嘩してるじゃん」
「まあ、私の場合は必然よ。立場が立場だし」
側室と正室。確かにそれは仲の良くなる要素は無い。しかも、神夜は昔から親しいというところから側室の方にばかり目を向ける。
それを正室が良いと思うわけもなく。
「大人、むつかしい」
菓子を口に入れて錐夜はそう呟いた。
まだ幼い子供に大人のあれやこれやは理解出来なくて当然なのだ。
そして、それが理解出来るようになった歳頃の錐夜は、
「ほんと、めんどうだよなあ」
自分を取り巻く状況にうんざりと言葉を吐き出す。
「それをひっくるめて楽しめばいいと思うよ」
朔夜が苦笑して言うのを錐夜は睨み付けて溜め息をつく。