04.bloodcross

第四章「断罪の血」

01.

side ???

 

それは遠い過去の記憶。

夜一族の里の広い長の屋敷の一室でうずくまって泣いていたのは月夜だった。まだ、成長しきっていない少年の身体には似合わない赤い痕。

産まれて数十年しか経っていない少年の月夜の身体を抱き締めたのは長の妻だった。

 

「…何するの…」

 

溢れる涙、かすれる声。月夜は責めるように長の妻を睨みつけた。しかし、彼女は優しく、けれど強く月夜を抱き締めている。

 

「何って言われると困るけど、私は月夜をこんな目に合わせたくなかった」

 

月明かりが照らす部屋に月夜と彼女は抱き合っていた。彼女は長の妻であの男が幸せそうに微笑みを向ける唯一の女。

月夜は彼女が憎かった。

 

「綺麗事を言わないでよ、偽善者。僕はアンタの旦那の愛人なんだよ?!」

 

先ほど、抱かれたばかりの少年の身体。月夜は破夜の愛人で彼女は破夜の妻だ。優しくしてくる彼女に苛つき月夜は声を上げる。

 

「知ってる。ここ毎晩、月夜があの人に呼ばれて床を一緒にしているのも」

 

彼女は抱き締めていた月夜の身体を離して顔を合わせる。月夜と同じ真紅の瞳は哀しみに揺らいでいた。

泣くのをこらえている、そんな彼女の感情を読み取った月夜は顔を俯かせる。

 

「悲劇の奥さんでも演じるつもり?」

 

月夜が彼女を嘲笑う。けれど、彼女は月夜を責めない。何時だって心配そうに彼女は月夜を見つめる。

その瞳から逃げたくて月夜は何時も彼女に八つ当たりする。

 

「本当に哀しいのは私では無くて月夜や神夜、翡翠なんだろうね。」

 

彼女はそう言って力無く笑う。月夜は俯かせていた顔を上げて彼女と向き合った。彼女の真意が解らない。

何時も幸せそうに破夜と翡翠といるのに。

 

「月夜、私が憎いなら殺すと良い。それが破夜からお前たちを救えない私の償いだ」

 

彼女は一つのイヤリングを月夜の耳につけた。月夜は黙って彼女の行為を受け入れる。

もっと違う形で彼女と出会えていたら月夜はきっと彼女と幸せになれた気がした。

 

「…華月(かげつ)」

 

過去から時が流れて月夜は長い時間を生きている。その耳には今も彼女から贈られたイヤリングが悲しい輝きを放っていた。

彼女への憎しみはとうに薄れていたのに彼女を殺して自分は抜け殻のように生きている。

 

「生きたいからここまで来たのに」

「今は違うんだ」

 

傍で眠る神夜の頭を撫でて月夜は哀しげに呟く。立ち止まれないのに、立ち止まれないからここまで来たのに。

 

あの腕の中に帰りたい。


02.

side 刹夜

 

錐夜と桜色の髪の青年から押しつけられた赤黒い巨大生物と刹夜達は戦っていた。怪我が酷い朔夜は今、リースラートに任せて律について来たが刹夜はアーシェルが気になっていた。

 

(…似てる。)

 

アーシェルの眼差しと雰囲気が錐夜と翡翠によく似ている。容姿もアーシェルと錐夜は酷似しているのだ。

刹夜はアーシェルをじっ、と見つめたが刹夜の視線に気づいたアーシェルに睨み返された。

 

「俺に何?」

「ああ、悪い。お前が錐夜に似てるから…つい」

 

アーシェルは刹夜の疑問に暫く、悩むように黙っていたが。

 

「…アンタの考えてる通りだ。」

 

アーシェルはそう言って刹夜に背を向けて赤黒い巨大生物の腕を刀で一閃し、斬り落とす。

ドオオォォン!と轟音をたてて地面に落ちた巨大生物の腕。アーシェルは地面に落ちた腕を刀で貫き何かを呟く。

 

「汝等の在るべき所へと還れ」

 

アーシェルの言葉と共に地面に落ちた巨大生物の腕はパァン!と風船が破裂したような音と共に粉々に砕け散った。

アーシェルは刀の柄を手にして本体へと向く。

 

「刹、ぼーっとしない!」

 

律は刹夜の背中を思いっきり平手で叩く。力加減はされてるものの威力は高く刹夜はよろめき律を見る。

律はニッコリと笑う。

 

「早くアイツ片付けて宵のところに帰りましょ」

 

キラキラと眩しいぐらいに何時までも輝きを失わない、律。律と刹夜の間に産まれた愛しい我が子。父親として今度こそ二人を守りたいと刹夜は決心していた。

 

「行く、か」

 

刹夜は地面を蹴り走り出す。刹夜に流れる『覚醒種』の血は戦闘力が高く大抵の武器は使いこなせる。刹夜は『覚醒種』の力を覚醒させて素早く赤黒い巨大生物の腹の前へと。

威力の高い回し蹴りが赤黒い巨大生物の腹にめり込み巨大生物は横へと吹っ飛ぶ。赤黒い巨大生物の身体が飛んだ先には真性封印種の力で男の姿になった律もとい律夜とアーシェルが刀を構えて待っていた。

二人の刀にはそれぞれの血が付いており刀を刺して直接、赤黒い巨大生物に封印術を施すつもりなのだろう。

 

「行くぞ」

「ああ」

 

二人は跳躍しまだ飛んでいる最中の赤黒い巨大生物の心臓目掛けて刀で巨大生物を刺し貫いた。

 

「「汝等、在るべき所へと還れ」」

 

二人の言葉が終わる頃に赤黒い巨大生物の身体に亀裂が入り、巨大生物の身体はパァン!とけたたましい音をたてて粉々に砕け散る。

 

「凄い!倒せましたね!」

 

獅奈希が安堵し喜ぶ。獅奈希の隣に立っている刹夜はふーっと安堵の息を吐いた。

 

「後は向こうだな」

 

刹夜が呟くと律夜とアーシェルは顔を見合わせる。律夜とアーシェルは真性封印種。真性封印種は核の気配に過敏で核であるエルトレス(錐夜)が誰かと戦闘を繰り広げているのが解る。

 

「桜夜様がついてるから滅多な事は無いと思うが…」

 

律夜は不安を隠せずに呟く。


03.

side 朔夜

 

結界の外の小さな誰もいない公園に負傷した朔夜とリースラート、瑠璃と天河はいた。

先の戦いで斬られた朔夜の傷が疼くように痛む。朔夜はリースラートの膝の上に頭を乗せて空を見つめていた。

 

(……錐夜……)

 

今、錐夜が誰かと戦っている気配を朔夜は感じていた。本当は助けに行きたいのに出血が激しかった身体から力が抜けて動く事が朔夜には出来ない。

 

「朔夜さん、大丈夫ですか?」

 

リースラートが心配そうに朔夜の顔を見つめる。朔夜は苦笑いを浮かべて小さく「大丈夫」だと呟いた。

瑠璃と天河を守りきった事に朔夜はひとまず安堵する。

 

「朔夜様…私の力が足りないばかりに」

 

瑠璃がしゅん…と落ち込み肩を落として言う。大きな瞳は涙で揺れ、今にも涙が溢れそうだ。

 

「瑠璃。大丈夫だから、ね」

 

朔夜は安心させるように瑠璃に向かって笑う。今、その涙を拭ってやれないのが悔しい。身体が回復するにはまだかかるだろう。

 

「朔夜様…」

 

ポツリ、と地面に瑠璃の涙が落ちる。

涙を流す瑠璃を天河は優しく抱き締めた。瑠璃は神子一族を追われ、ずっと逃亡生活を強いられていた。夜一族が破夜を復活させる為の生贄として。

神子一族は夜一族には逆らえないから。

 

(月夜…)

 

朔夜は目を閉じた。傷の痛みがまだ消えない。

 

「……朔夜さん」

 

リースラートは自分の膝に頭を乗せている朔夜の顔を見つめた。リースラートと同じように朔夜も大切な人を守りたいのだろう。

リースラートもまた、守りたい人達がいる。

 

「………!」

 

不意にリースラートの身体が反応した。恋人を救う為に恋人へと送った『力』はリースラートに戻りつつある。

それは、恋人が間もなく死ぬという証でもあるのだが。

 

「誰?」

 

リースラートは気配のする方へと視線を向ける。身体が殺気を感じたのだ。

リースラートは目を閉じている朔夜を瑠璃に預けて立ち上がる。

 

「久しぶり、姉さん」

 

木の影から現れたのはリースラートがよく知る少女の姿。リースラートは少女の姿を見て目を見開く。


04.

side エルトレス

 

「はあぁっ!」

 

エルトレスの金の髪が揺れる。結界という別空間の校舎内の広い地下室で黒夜とエルトレスは激しい攻防戦を繰り広げていた。攻撃範囲の広い刀を武器とした黒夜と体術を扱うエルトレス。ここまでエルトレスが黒夜と渡り合う事は黒夜にも予想外だった。

 

(本気だな、エルトレス)

 

夜一族の哀しみも神夜と翡翠の涙もずっと感じていたエルトレス。黒夜はそんなエルトレスと過ごして来た。だからこそ、エルトレスが本気なのは嬉しい。

この子ならば一族を哀しみから解き放ってくれる、黒夜はずっと感じて来ていた。そして、エルトレスも一族を救おうと本気だ。

 

「師匠っ!」

 

エルトレスは跳躍し黒夜に拳を向ける。黒夜もそれに応えるように刀を構える。二人の視線が互いにぶつかり合う。

これで最後だとお互いに全力でぶつかり合うつもりだった。

 

「はっ…」

 

黒く鋭い刃がエルトレスの肩を刺し貫き、エルトレスは掠れた声を小さく上げた。

黒夜は目を見開いてエルトレスを見た。エルトレスの肩を貫いた黒い刃はエルトレスの肩から刃を抜き去り、しゅるしゅると軟弱に動いて鈴(りん)の影へと帰っていく。

 

「鈴っ!!何故、邪魔を」

 

黒夜は激昂し鈴を鋭く睨みつける。エルトレスは床に着地したが度重なる怪我で身体に無理をさせていたせいで立つ事が出来ずに倒れた。

床に倒れたエルトレスを黒夜は抱き起こす。

 

「これは破夜様の命ですわ。黒夜様」

 

鈴は妖しく笑う。

黒夜は小さく舌打ちし、エルトレスを抱き締める。結界に入った時から鈴に襲われ怪我を負っていたエルトレスは痛みと度重なる出血、そして今負った肩の怪我で意識が朦朧としていたが黒夜の哀しみに満ちた表情で意識を覚醒させた。

 

(負けるわけには…いかない!)

 

父親はずっと過去に傷ついて母親と添い遂げる事が出来ない。母親は哀しみを一人で背負っている。今、夜一族にはエルトレスの両親と同じように哀しみを背負っている者が沢山いる。

黒夜も神夜と翡翠に責任を感じている。だから、エルトレスは破夜も月夜も許せない。如何なる理由があろうとも他者を傷つけて来た二人を許す事が出来なかった。

 

(人は生きている限り、誰かを傷つける。だけど、破夜と月夜は…)

 

数多の悲劇を呼び、その上に『理想郷』を築こうとしている。そんな『理想郷』で誰が幸せになるんだろう、とエルトレスは拳を強く握り締めた。


05.

side エルトレス

 

刺し貫かれた肩の傷が熱と痛みを引き起こす。エルトレスは苦痛に苦しそうな息を吐く。

そんなエルトレスの姿に黒夜は泣きそうになる。愛しい少女が傷つき、苦痛に苛まれているのに自分はエルトレスを守る事が出来ない。

 

「師匠…」

「あまり、動かない方がいい」

 

破夜への忠誠心が揺らぐ。エルトレスと出逢った時から黒夜はずっと破夜に仕えている事が嫌になっていた。

黒夜はエルトレスを抱き締めている腕とは別の腕で自分の刀の柄を握り締める。

 

「ずっと破夜様に仕えていくつもりだった。だけど、友人達が傷つけられているのを見て疑問を感じて来た」

 

母親を殺され憎しみを持ち続けていた翡翠と翡翠を想い続けている神夜。しかし、神夜は破夜と月夜には逆らえない。

刹夜はそんな二人を哀しそうに見守り助けて、光夜はずっと神夜を支えて来た。なのに、自分は何も出来ずにここまで来てしまったのが悔しい。

 

「鈴、破夜様に伝えて欲しい」

 

刀の柄を握り締める。もう、二人を哀しませたくない。エルトレスと共に運命を切り開く道を選ぶ。

 

「銀帝は死んだと!」

 

決意を込めて黒夜は自分の胸を刀で貫いた。破夜への忠誠心は『銀帝』と共に葬り去る。

 

「師匠っ!!」

 

エルトレスの悲鳴が地下室に響き渡る。鮮血がエルトレスの顔に飛び散ったがエルトレスは涙を流して黒夜の服を握り締めた。

黒夜は微笑んでエルトレスの頬を撫でる。

 

「どうしてですか?!黒夜様っ!私はずっと貴方と共に破夜様の『理想郷』をっ…!!」

 

鈴の悲痛な叫びが辺りに響き渡る。破夜の『理想郷』の完成を鈴は黒夜と共に見たかったのだ。だが、黒夜は道を変えた。

エルトレスと同じ道を辿る為に。

 

「破夜は数多の人々を傷つけ過ぎた。夜一族だけでなく他の者達も。その『理想郷』に誰が幸せになれる」

 

冷たい銀の刃が鈴の喉元に押し当てられる。鈴は自分に刃を向けている人物の底知れない気配に息を飲んだ。

 

「退け、退かなくば命無きものと思え」

 

冷たい底冷えするような声が鈴にそう告げる。鈴はくっ…と唇を噛み締めて視線をさまよわせるが喉元に押し当てられた刃とは別の刃を目の前に突きつけられた。

 

「ふふ…今は退いてくれないかなぁ?真性封印種と純血種相手じゃさすがの君も無理でしょ」

 

鈴の目の前に鎌の刃を突きつけたのは黒夜の攻撃から意識を取り戻した光夜だ。口元は穏やかに笑みを浮かべているが目は全く笑っていない。

挟み撃ちにされた鈴は舌打ちをし、己の影に身体を沈める。鈴の身体は沈めた影と共にその場から消え去った。


06.

side エルトレス

 

「全く無茶するねぇ」

「呆れましたよ。本当に」

 

その場から消え去った鈴を深追いする事も無く光夜は嬉しそうに黒夜の頬をつついていた。黒夜の治療をする事になった静輝は呆れを込めた冷たい視線を黒夜に向けている。

 

「急所外してたな。お見事」

 

桜夜は褒めているのか疑う程に棒読みに黒夜を褒めた。

『銀帝』では無くなる為に黒夜は鈴の目の前で胸を己の刀で刺し貫いたが急所を外していた為、軽い出血だけで済んだようだ。

しかも、死醒種の力を発動させている黒夜は怪我の治りが早く、既に傷も塞がっている。

 

「…すまない」

 

黒夜は申し訳なさそうに小さく謝る。それに静輝は「謝るなら、エルトレスに謝って下さい」と言い放った。

当のエルトレスは黒夜が胸を刺し貫いた事にショックが大き過ぎて意識を失っている。

 

「残るは亀裂の封印だね。」

 

珠皇に支えられて立っている神音が苦笑いを浮かべた。

珠皇は神音を心配そうに見つめている。

 

「エルトレスさんが気を失ってますが封印は出来ますか?」

 

塚本は術を酷使した為に疲労で立ち上がれなくなり壁に身体を預けて座って、力無く笑う。

塚本の問いに答えたのは桜夜だ。

 

「可愛いエルトレスの手を煩わせなくてもまだ向こうに律とアーシェルがいるから大丈夫だろ」

 

桜夜の言葉に塚本は安堵していたが静輝は逆にまずい物を食べさせられたような表情を浮かべた。律は分け隔てなく誰であろうとイジメる。部下兼弟子である静輝とて例外では無い。

 

「アーシェル??」

 

聞いた事の無い名前に光夜は首を傾げるが黒夜は「…ああ」と何か知っているのかさして驚いていない。

 

「錐夜によく似た、真性封印種だよ」

 

そう言って桜夜は黒夜の腕の中で気を失っているエルトレスの頭を撫でた。怪我を負ったエルトレスの顔色はあまり良い色とは言えない。早いところ、亀裂を封印して寝かせた方がいい。

 

「桜夜様!」

 

ズガアアァァン!とけたたましい音をたてて床に沈み込んだのは丸くて大きく切り抜かれた壁だ。切り抜かれた壁に桜夜が唖然としていると切り抜かれた穴から出てきたのは結界の更に結界の中に残して来た律達だ。

 

「げ!律」

 

律達の登場に桜夜は明らかに嫌そうな顔をした。刹夜、アーシェル、獅奈希は良いのだが桜夜には律は天敵だ。

光夜も律の姿を見て「うわー‥」と嫌そうに小さく言った。

 

「早いところ、亀裂を封印しましょう。神音とエルトレスを休ませてあげたいので」

 

静輝の眼鏡のレンズがキラリと光った。エルトレスもそうだが神音も相当、怪我を負っている。早く安全な場所で治療してやりたい。


07.

side 朔夜

 

重傷を負った朔夜は瑠璃の膝に頭を乗せて眠っている。天河は瑠璃と朔夜を守る為に二人の傍で周囲を警戒していた。

リースラートはそんな三人を守るように前に立ち、現れた少女と対峙する。

 

「ウィルシェ…」

 

リースラートは現れた少女を見据える。目の前に現れた少女はリースラートがよく知る少女だ。少女は美しくも妖しい笑みを浮かべてリースラートに近寄る。

 

「来ないで!」

 

リースラートは近寄って来る少女に声を荒げた。少女とリースラートはお互いに相容れなくなってしまったのだ。

同じ人を愛してしまったばかりに。

 

「酷いじゃない。お姉様」

 

少女はクスリと小さく笑い、首を傾げる。

 

「それだけの事を貴方はしたのよ…」

 

リースラートは厳しい視線を少女に向ける。少女はリースラートだけでなくリースラートの恋人の運命すら狂わせてしまったのだ。

尽きかけている彼の命。

 

「お姉様が悪いのよ?私に彼を下さらないから」

 

少女はいつの間にか手にしていた剣の柄を握ってリースラートの懐に入っていた。あまりの早さにリースラートは驚く。神戒種としての能力は力が戻りかけのリースラートよりも彼女の方が上だ。

だが、瑠璃や天河、朔夜の事を考えたら負けるわけにはいかないとリースラートは拳を握り締める。

 

「ウィルシェっ!!」

 

少女…否、リースラートの妹ウィルシェの手にした剣をリースラートは拳で叩き割る。

やはり、リースラートが彼の命をつなぎ止める為に彼に入れていたリースラートの力は戻りかけているのだ。

 

「シルヴァリスはどこなの?!」

 

リースラートは声を上げる。しかし、ウィルシェはニコリと愛らしく笑う。

 

「夜一族の牢にいるわよ」

 

ウィルシェの言葉にリースラートは後方に跳躍して固まったように動かなくなる。

何故、彼が夜一族の牢に捕らわれているのか…。

リースラートは信じられない気持ちだった。

 

「きゃああぁぁ!」

 

リースラートがウィルシェに気を取られている間に黒装束の者達が瑠璃を天河と朔夜から引き離している。

リースラートはすぐに瑠璃を助けようとウィルシェに背中を向けた。その隙をウィルシェが逃す筈もなく。

 

「……!」

「余所見は禁物よ、お姉様」

 

リースラートの腹はウィルシェの剣に刺し貫かれていた。


08.

side 朔夜

 

妹のウィルシェの剣の刃に腹を刺し貫かれたリースラートは貫かれた痛みに顔を歪めるが、自分の腹を貫いている剣を強引に抜く。

出血しているが構わず瑠璃を捕らえている黒い装束の者を蹴り飛ばした。刺された腹が痛むが構わない。

 

「お姉様、残念ですが…」

 

キラリと血濡れの剣の刃が銀に光る。リースラートの背後でウィルシェは笑う。

天河に抱き寄せられている瑠璃が「リースラートさん!」と叫んだ。

 

「リースっ!!」

 

目を覚ましていた朔夜がリースラートを抱きかかえてウィルシェから離れた場所に跳躍する。

リースラートも朔夜も怪我を負っている為に着地する際に二人とも傷の痛みで地面に倒れる。

 

「…大丈夫か?リース」

「う、うん…。朔夜こそ」

 

リースラートと朔夜は上体を起こす。二人の傍に天河と瑠璃が駆け寄って来る。

 

「あの黒い装束の連中は多分、夜一族だ」

 

朔夜は愛用している刀を手にして立ち上がる。朔夜自身もかなりの傷を負っているのだ。

ウィルシェと黒い装束の者がざっと見ても六人はいる。瑠璃は戦えない、リースラートも朔夜も怪我を負っている。天河は瑠璃を守っているからあまり、戦えないだろう。

 

(この窮地どう脱しようかな)

 

朔夜は苦笑いを浮かべる。錐夜達は亀裂の封印に向かっているから助けには来れないだろうし…。

愛用の刀の柄を握る力が強くなる。

 

「さて、瑠璃を渡して貰おうかしら」

 

ウィルシェが美しい微笑みを浮かべて、一歩一歩と瑠璃に近づいて来る。

朔夜とリースラートはふらつきながらも立って構えた。

黒い装束の者達が素早い動きでウィルシェの脇をすり抜けて朔夜とリースラートへ向かってくる。天河と瑠璃を背後にやった朔夜とリースラートは冷や汗を背中に感じながらも戦う姿勢を崩さない。

しかし、黒い装束の者達の一人が別に動きリースラートと朔夜の前に立つ。

 

「悪いな」

 

短くそう言い放った黒い装束の一人がリースラートと朔夜に向かって来た黒い装束の者達を見事な体術で後方へと吹き飛ばした。

朔夜も目で追いつくのがやっとな程に素早い動きの体術。

 

「まさか…」

 

夜一族の中でもそんな動きの出来る体術使いは刹夜か神夜の息子の鎖夜だ。

しかし、刹夜は律と一緒に錐夜達を助けに行った筈…。まさか、鎖夜が夜一族や白夜を裏切ってこちらにつくとは考えにくい。

朔夜は自分の目の前に立つ黒い装束の人物を黙って見つめていた。


09.

side 朔夜

 

「久しぶりだな、宵夜」

 

バサリ、と地面に黒い装束を脱ぎ捨てて彼はそう言って朔夜に向かって笑った。

朔夜は目を見開く。まさか、そんなわけがないと思っていた人物が自分達を助けに入るなんて思いもしなかった。

 

「鎖夜(さや)兄さん」

 

朔夜が驚いて口にした名前に朔夜とリースラートを助けた人物…鎖夜はウィルシェと対峙している。鎖夜が吹き飛ばした黒い装束の者達は皆、完全にのびている。

 

「鎖夜さん、白夜様を裏切ってそちらにつかれるのですか?」

 

ウィルシェが首を傾げて鎖夜に問う。問われた鎖夜は苦笑いを浮かべた。

 

「ま、好きにとれよ。子猫ちゃん」

 

シルバーグレイの髪を後ろに撫でつけた髪型と真紅の瞳。ガッチリした体躯は筋肉質で頼もしい。

しかし、鎖夜もさすが神夜の血を引くだけあって顔立ちも男らしさ溢れる美丈夫だ。

鎖夜はロングコートをワイシャツに羽織った服装をしている。着物を着ている者が多い夜一族にしては珍しくスラックスを履いてるので鎖夜は西洋的な服装を好んでいるのだろう。

 

「弟君を大切に想われてるかと思っていたのですが、どうやら違ったようですわね」

 

ウィルシェが鎖夜を嘲笑う。

だが、鎖夜は煙草に火をつけて口にくわえて特に反応を返さない。

 

「鎖夜兄さん…」

 

朔夜には兄の真意が解らない。鎖夜は何よりも白夜を優先にして動く。その鎖夜が何故、こちらを助けるのだろうか。

 

「子猫ちゃん、余計なお喋りはよそうぜ。俺は口より拳で語る方だ」

 

煙草を口にくわえて鎖夜はニヤリと口の端を吊り上げて笑う。構えは完全に戦闘態勢だ。

 

「…っ!」

 

ウィルシェが息をのむ。

 

「俺とやり合って勝つつもりなら来な。先に言っとくが今の俺は女だろうと容赦しないぜ」

 

そう言って笑う鎖夜の目は本気の目をしている。明らかに今の鎖夜とやり合えばウィルシェが不利だ。

 

「く…!」

 

ウィルシェが悔しさに唇を噛む。リースラートは妹を哀しげな表情を浮かべて見つめていた。

 

(ウィルシェ…)

 

リースラートにとってウィルシェは大切な妹だったのに変わってしまった。妹は変わってしまったのだ。

 

「今は退いて、ウィルシェ!貴女との決着は私がつける!!」

 

ウィルシェに向かってリースラートは声を上げた。変わってしまったウィルシェと向き合う事に無意識にリースラートは逃げていたから。

今度は向き合うとリースラートは決意した。

ウィルシェはリースラートの真剣な表情を見て妖艶な笑みを浮かべる。

 

「いいわ、お姉様。決着を何れつけましょう?」

 

ウィルシェはそう言って倒れている黒い装束の者達とともに姿を消した。

リースラートは安堵の息をつき、朔夜は鎖夜と互いに見合っている。瑠璃は天河の腕の中で不安そうな表情を浮かべた。


10.

side 朔夜

 

「鎖夜兄さん」

 

朔夜は恐る恐る、鎖夜を呼ぶ。

 

「白夜から聞いた。お前が真性封印種だって事も親父の状況も」

 

ごめん、と謝っても許されない。宵夜は朔夜で自分の両親は刹夜と律だ。

ずっと、白夜と鎖夜を騙して来た。

 

「お前、師匠の子供だってな」

 

鎖夜は朔夜に背を向けたまま表情も見せずに言う。刹夜は鎖夜にとって戦いの師匠だ。

朔夜は顔を俯かせた。何時かはこんな時が来ると解っていた筈だ。嘘が知れてしまう事。

 

「罰するなら俺だけにしてくれ。父さんも母さんも許して欲しい」

 

やっと再会出来たんだ、と朔夜は小さく呟いた。長い間離れていた両親がやっと、再会出来たから。

 

「…お前に罰を下してみろ。静輝に嫌われる。それに」

 

鎖夜は口にくわえていた煙草を指に挟み、煙を吐いた。

 

「俺はお前を家族だと思ってる」

 

ぶっきらぼうに告げる鎖夜に朔夜は驚く。まさか、そんな風に思ってくれてるなんて思いもしなかったから。

 

「ありがとう、鎖夜兄」

 

朔夜は嬉しそうに笑う。

 

「ところで鎖夜兄さんはどうして助けてくれたんだ?」

「白夜が…お前を守れってな」

 

朔夜の問いに答えた鎖夜の言葉に『白夜』の名前が出てきて朔夜は身体が震えた。

朔夜にとって白夜は大切な存在だ。親や友人とは違う、大切な人。

 

「自分は夜一族を守らなければいけないから自由に動ける俺にお前を任せるって」

 

鎖夜の言葉に朔夜は自身の胸辺りに手を持っていき、拳を握り締めた。

離れていても互いに想いあっている心は一緒だと改めて実感する。

 

「白夜兄様の為にも月夜から夜一族を救わなければ」

 

『理想郷』なんて案外、身近にあるものだ。朔夜にとって白夜がそうであるように。

 

「錐夜達と合流しましょう」

 

リースラートが提案すると鎖夜と朔夜は頷く。

 

「瑠璃、一緒に行こう。今はどこも安全とは言えない」

「朔夜様…」

 

哀しげに瞳を揺らす瑠璃に朔夜は手をのばす。足手まといになってばかりの自分にいつだって朔夜は手をのばしてくれる。

瑠璃は「はい」と小さく返事をして朔夜の手を握った。


11.

side エルトレス

 

珠皇の案内で結界内の校舎、その地下の奥深くの別空間に魔神を生み出す亀裂はあった。

 

「これが亀裂かー」

 

別空間は異空間と言った方が正しいのか校舎の教室や体育館、職員室などを一部切り取って合わせたみたいな場所だ。

机の隣には跳び箱があり、教室の景色から横を見たらいきなり体育館の景色になっている。

光夜は鎌を手にして亀裂を見る。空間の裂け目『亀裂』を見れば裂け目から魔神の手がこちらに向かってのばされている。

「うわー‥」と嫌そうな表情をして光夜は静輝の傍に行く。

 

「随分、大きい亀裂ですね」

 

静輝が亀裂を端から端を見る。亀裂は全体で約5メートル。そこからチラチラと魔神の手が見える。

 

「俺が張った結界がまさか、こんな奴らを守っていたとは」

 

珠皇が張った結界は魔神を守るように効力を込められていた。珠皇自身はまさか、自分が世界を侵す存在を守る結界を張っていたとは思いもしなかったが。

 

「珠皇だけの所為じゃない。政府の上役に月夜の甘言に騙されていた奴がいたんだ。ソイツがお前にこの結界を張らせたんだろ」

 

刹夜の言葉を要約すると月夜は政府の上層部の『対魔』機密機関の人間を騙してその人間が珠皇に嘘を言って魔神を守る結界を張らせたのだろう。

 

「珠皇、政府の人間から何か渡されたか?月夜の呪が仕込まれてる可能性がある」

 

月夜程の力があれば物に呪を仕込んで結界の意味を変える事は容易い。桜夜が聞くと珠皇は暫く悩んで、服から瓶を取り出した。

透明なガラスの瓶にはコルクで蓋がされている。瓶の中には赤い結晶が不気味な光を放っていた。

 

「月夜の血か」

 

珠皇から瓶を受け止った桜夜は呟いた。桜夜の言葉に刹夜は「げ!」と嫌そうな声をあげる。

 

「月夜は真性純血種だ。夜一族の祖先の血をかなり濃く受け継いでいるからな。奴の血は神すら呼べる」

「それは初耳ね。桜夜様」

「初めて言ったからな」

 

桜夜と律の会話に意識を失って黒夜に抱き上げられているエルトレスの手がピクリと動く。

 

「神を…呼んでしまったのね」

 

『鍵を壊せ』『アレを封印しろ』と時折、エルトレスに聞こえる声はきっとこの事を告げていたのだ。

恐らく、月夜が呼んだ神は呼んではいけない神だった。


12.

side エルトレス

 

「起きたのか?エルトレス」

 

黒夜が優しい表情を浮かべてエルトレスを見つめる。体内の血をかなり失ったエルトレスはクラクラする頭の中で精一杯、笑った。

 

「すみません、師匠」

「気にするな。血をかなり失っているからな」

 

謝るエルトレスを制して黒夜は優しく微笑む。

 

「あ、エルトレス。おはよう」

 

エルトレスが起きた事に気がついた神音は壁によりかかってエルトレスに声をかけた。神音も怪我をかなり負ったせいで顔色が悪い。

 

「神音、大丈夫?顔色悪いよ」

「エルトレスもね」

 

エルトレスと神音のほのぼのとした会話に横やりを入れるようにパアァンと破裂した音が辺りに響く。

珠皇と桜夜が魔神を守っていた結界を解いたのだろう。

 

「結界が解かれたか」

 

アーシェルが短く呟く。刀を手にしたアーシェルは亀裂の前に立ち、亀裂に刀を刺す。

つうー‥と刀の刃を伝ってアーシェルの血が直接、亀裂に入り込む。真性純血種の血は『封印』の効力もある。魔神には毒だろう。

亀裂から『オオオォォォ』ともがいているのか苦しそうな声が聞こえた。

 

「アーシェル!」

 

桜夜が叫んでアーシェルの傍に駆け寄る。もがく魔神の手がのびて桜夜とアーシェルの足を掴む。

 

「…闇より来たりて闇の眷属よ。汝等の在るべき場所へと帰れ!」

 

桜夜が祝詞を唱える。光がアーシェルと桜夜を守るように包み、魔神の手を二人から離す。

 

「桜夜さん、アーシェル!」

 

エルトレスが声を上げてフラつく足取りで二人の傍へいく。

貧血で思考が働かないがエルトレスは必死で二人のもとに行くが魔神の手がエルトレスの足を掴む。

 

「離して!」

 

エルトレスを亀裂の中へ連れ込もうと魔神の手がエルトレスの足を引っ張る。

 

「エル!」

 

魔神に足を引っ張られているエルトレスの腕を掴んで引き寄せた黒夜がエルトレスの足を掴む魔神の手を斬り裂く。

 

「早く封印しないと」

 

静輝は手にしたナイフで自身の手の平を切る。静輝の手から血が零れ落ち、静輝はその血を自分の刀へと垂らす。

 

「魔神が大量に生まれる前に封印しないと大変ね」

「合体されたらまた、あんなデカ物相手にしなきゃならん」

 

律が手を亀裂に向ける。律の真性純血種の力で魔神がこちらへ来るのを抑えつける。刹夜は律の身体を支えた。覚醒種の刹夜には術は一切、扱えない。

だから、刹夜は支えてやる事しか出来ない。

 

「どうやら、今亀裂の中で騒いでる奴らはかなり大量の魔神らしいね。こんな奴らが表に出たら大変だよ」

 

光夜は結界を張って、獅奈希と塚本を守る。

神音は珠皇に支えながらも立ち上がり亀裂の前へと来ていた。


13.

side エルトレス

 

「真性純血種全員で封じ込めるしか無いな」

 

桜夜は刀の柄を握るアーシェルの手に自分の手を重ねる。

アーシェルは魔神を封じ込める事に全神経を集中させていた。

 

「私も手伝います!」

 

エルトレスもアーシェルの手に手を重ねた。

 

「エルトレス…」

 

小さい声でアーシェルはエルトレスの名前を呼ぶ。エルトレスはアーシェルに笑ってみせる。

 

「やっと逢えたね」

 

それだけ言ってエルトレスは魔神を封じ込める事に集中する。エルトレスの言葉にアーシェルは小さく微笑んだ。

 

「この亀裂を封印すれば一歩かな」

「そうですね」

 

神音はエルトレスの手を握り締め、静輝は神音の手を握り締める。それに律も続き律は静輝の手を握った。

 

「ちゃちゃっと封印して朔夜のところに帰らなきゃね」

 

律はそう言って笑う。

アーシェルの血を亀裂に流し込み、その血を触媒として真性純血種達の封印の力を送り込む。

亀裂の封印さえしてしまえば魔神はこの世界に生まれる事は無い。

 

「天よ、地よ」

 

アーシェルは目を閉じる。

 

「全ての理よ。」

 

桜夜の形のいい唇が動く。

 

「悠久の時間(とき)に過ぎさりし」

 

エルトレスは背後に感じる大切な人の気配に微笑む。

 

「一条の光とともに」

 

神音は手から伝わる温もりに涙する。

 

「我は願い奉る。」

 

静輝は光夜の姿を見て安心した。

 

「この世界に」

 

律は空いた手に握られた温もりに笑う。

 

「光を与えたまえ!」

 

宵夜の言葉の終わりと共に眩しい程の光が爆発的に広がる。

熱さと眩しさが辺りにいた全員を包み込み、魔神の悲鳴が辺りに響く。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「生きたい」

 

誰かが涙を流している。それはまだ小さな子供で子供は必死に願っている姿が見えた。

 

「僕は生きたいんだ!」

 

悲痛な声で叫ぶ子供に誰かが手を伸ばす。禍々しい気配を帯びたその手を子供は握ってしまった。

この子供の姿形はどことなく月夜の面影があった。

 

『生きたいか?ならば、私を目覚めさせろ』

 

子供時代の月夜は甘言に騙され、呼び覚ましてはいけない存在を目覚めさせた。

 

「もっと早く出逢えていたら…」

 

場所も時も変わり、桜が舞い散る中で少し成長した月夜を抱き締めて泣いている女性。月夜は目を瞑っている。

 

(何百回も思ったよ、華月。貴女にもっと早くに出逢えていたら…って)

 

白い光の眩しさから全員に見えた幻。それは月夜と一人の女性の一時の過去だった。


14.

 

「………」

 

亀裂は跡形も無く封印され、結界も解かれてそこは普通の学校の校舎に戻っていた。眩しい程の光は止んで全員は正常に戻っている理事長室にいた。

地下室はどうやら元々、存在して無かったようだ。

 

「今のは…」

 

エルトレスを抱き締めている黒夜が唖然と呟く。

眩しい程の光の中で見えた幼い頃の月夜。

 

「あれは真実だ」

 

桜夜が哀しげに言った。その手には月夜の血の結晶が入った瓶が握られている。

 

「月夜は幼い頃に両親に捨てられて飢えと絶望の中で『生きたい』と願ってはいけない神に願ってしまった」

 

月夜の過去の話を桜夜は続ける。あの時の夜一族で月夜の真実を知っていたのは破夜と華月だった。

 

(何百回も、か。俺もだよ…月夜)

 

心の中で桜夜は呟く。過去に戻れるなら『アレ』よりも早く月夜に出逢いたかった。

 

「まあ、皆さん。しんみりするのは後にしましょう?早くここから出ないと学校に生徒さん来ちゃいますよ~?」

 

律が理事長室の壁にかけられた丸い時計を指差す。どうやら今は朝の6時のようだ。

 

「そうだな。って何で宵夜と鎖夜がいるんだよ」

 

刹夜が煙草を一服しようと煙草に火をつけた瞬間、いないはずの宵夜(朔夜)と夜一族の里にいるはずの鎖夜がいるのを見て驚く。

 

「みんなと合流しようと思って頑張って来たんだよー」

 

あははーと呑気に宵夜は笑う。

 

「久しぶり、師匠」

 

鎖夜は煙草を口にくわえてニヤリと笑った。

ウィルシェが退いた後、鎖夜は朔夜(宵夜)達を連れて急いでここまで来たらしい。

 

「あ、お兄様!」

 

瑠璃が塚本を見て明るく言った。

 

「は?」

 

瑠璃の言葉に宵夜とリースラートが驚く。

 

「…瑠璃、無事だったのかい?」

 

塚本が安堵した表情を浮かべて瑠璃に声をかける。瑠璃はニッコリ笑って「はい、朔夜様が守って下さいました」と返事をしていた。

 

「良かった…」

 

獅奈希も安心したように笑う。瑠璃、塚本、獅奈希は神子一族の兄妹だ。久々の再会になる。

 

「何でもいいから早く行くぞ。外が騒がしい」

 

雑談が止まりそうにない周囲に呆れて黒夜は言い放つとエルトレスを抱き上げてさっさと外へ出て行く。


15.

学校の生徒達が登校し始めた為、一般人の目に触れられまいとエルトレス達は塚本が用意した家へと帰った。

怪我人は治療と安静が義務づけられ、ベッド送りになったのはエルトレス(錐夜)、神音、リースラートと宵夜(朔夜)だ。怪我人の治療を終えた静輝と刹夜はリビングに他の者と集まっていた。

 

「師匠も怪我人の一人だろ?」

「げ、気づいてたのか」

 

鎖夜が壁に寄りかかりながら煙草を口にくわえて鋭い眼差しで刹夜を見る。朔夜を庇った時の怪我だが律の血を飲んでほとんど塞がっているので構わずにいた。

 

「治療しましょうか?師匠」

 

静輝が気遣って声をかけてくれるが律の血さえ飲めば傷は塞がるから刹夜は気持ちだけ受け取っておく事にした。

 

「さて、元凶に近い亀裂は封印したから次はどうしようかねぇ?」

 

静輝が薬品や包帯を片付けるのを手伝いながらどこかしんみりとしながら光夜は言った。

 

「新しい亀裂入れられたら面倒だな」

 

白いティーカップに注がれた紅茶を見つめ黒夜はティーカップの持ち手に指をかけてカップを持ち上げる。

注がれた紅茶が良い香りを放っていた。

 

「魔神という存在をこちらへ来させないようには出来ないのですか?」

 

人間社会の知識が多く、人外の存在の知識には乏しい獅奈希が問う。

 

「それは不可能だよ。小さな綻びはちょっとした事で出てしまうからね。だけど、小さな綻びは魔神数体しか通さないから退魔能力のある者が退治すれば済む。」

 

獅奈希の質問に光夜が答える。獅奈希は興味津々に聞いているので光夜は更に続けた。

 

「だけど、亀裂はかなりの数の魔神を通してしまうよ。大体、一時間で50体は通す。陰の気の塊みたいな魔神は人間の悪い感情を増幅させるから50体もいたら大変な被害を生むね」

「大変な被害って…例えばどんな被害を?」

「余計な争いが起こって流さなくていい血が流れる事だね」

 

草木にも陰の気は良い影響を与えない、と光夜は告げた。話を聞いて獅奈希は魔神という存在に恐ろしさを感じる。

 

「新しい亀裂を入れられる前に月夜を倒すのが理想だな」

 

宙に漂って消える煙草の煙を見つめながら鎖夜は言い放つ。

道はそれしか無いが皆、思う事は違う。

 

「翡翠はどこにいるのかしら」

 

窓の外の景色を眺めて律は誰にも聞こえない程の小さな声で呟いた。


16.

 

「久しぶりなのかな?初めまして?うーん、何か不思議だね」

「気がついていたのか」

「解るよ。そりゃあ」

 

ベッドから抜け出してエルトレスはアーシェルと二階のベランダで話をしていた。

 

「私が生まれた後、まだお腹にいたのは覚えてるよ」

 

母親の翡翠の腹に宿った命は一つだけでは無かった。

何となくだが微かにエルトレスには母親の腹の中にいた頃の記憶がある。人外だからこそ、腹の中にいた時の記憶があるのだろう。

 

「…聞かないのか?」

「何が?」

「俺は母さんの行方を知っている」

 

アーシェルの言葉にエルトレスは驚かない。解っていた、と表情が語っている。

 

「当てようか?お母さんの行方」

「……」

「お母さんは夜一族の里にいる、違う?」

 

エルトレスの言葉にアーシェルは黙ったまま、頷く。アーシェルは獅奈希を助けに来ただけでは無かったのだろう。

エルトレスに母親の居場所を教えに来たと言っても良いかも知れない。

 

「俺はずっと母さんと一緒にいた」

「うん」

「エルトレス」

「ん?」

「恨んでいるのか?俺を」

 

最後の方のアーシェルの言葉にエルトレスは「は?」と怒気を含んだ声を発した。アーシェルを恨んでいたら、最初に会った時に殴っている。

 

「お母さんを独り占めしたって思わないで、アーシェル」

 

そう言ってエルトレスはアーシェルの頭を撫でた。サラサラの金の髪は自分と同じ。

 

「エルトレス?」

 

小さく笑ったエルトレスはそのまま、アーシェルから背を向けて部屋の中に入る。

アーシェルや神音、獅奈希を今回の事に巻き込むつもりは無かった。だから、せめて彼らをこれ以上危険な目に会わせたくない。

 

(月夜、貴方のあの時の選択はきっとあの時の貴方には精一杯の選択だった)

 

もし、エルトレスがあの時の彼の立場だったら無意識でも神を呼んでいたのだろう。月夜が神を呼んだ事を責めるつもりは無い。

彼の生い立ちを知った上でエルトレスは彼を止めるつもりだった。

家のベランダを出てエルトレスは廊下を歩き、階段を下りて一階のリビングへと向かう。

リビングにいる者なら知っている筈だ。

 

あの日から何が狂ったのか。


17.

リビングの扉を開けてエルトレスは部屋に足を踏み入れた。エルトレスがリビングに来た事でリビングにいた者達は驚き、黒夜は足早にエルトレスの傍に行きエルトレスを支えた。

 

「まだ寝てた方がいい」

「…駄目です。師匠、師匠は知ってますよね?月夜の過去を」

 

 

知らない筈が無い。黒夜はずっと見てたのだ。すれ違う運命に立っていた神夜と翡翠、月夜を…。

 

「…エルトレス」

「教えて下さい。何が始まりで、どうして狂ったのか」

 

黒夜に始まりを語らせるのは酷だ。黒夜はずっと、後悔に苦しみ哀しんでいたのをエルトレスは知っている。

 

「知らないと戦えない」

 

月夜と向き合って何になるのか。それで彼を救えるわけでも無い。独り善がりだとエルトレスも解っている。

どの道を行こうとも月夜を倒す事には変わりない。

 

「何も出来なくても?倒す事には変わりないのに?」

 

知ってどうするんだと桜夜から厳しい反応が返って来る。

 

「彼の苦しみを私には解る事はきっと出来ない。救う事も出来ない。でも、私は彼と話がしたい!」

 

エルトレスは声を上げた。その言葉に黒夜は気がつく。

 

「エルトレスには知る権利がある。月夜と破夜さえ狂わなければエルトレスはもっと自由だった」

 

月夜と破夜が狂わなければ、翡翠と神夜はエルトレスの近くにいてエルトレスは両親の愛情をもっと受ける事が出来たのだ。

神夜の権力さえあればエルトレスは幽閉されずに済んだかも知れない。

 

「お願いです。教えて下さい」

 

エルトレスの真剣な表情と瞳に刹夜は「教えてやる」と返事をした。

 

「君らも聞く~?」

 

刹夜がエルトレスと向き合い、話をしようとした時に光夜はリビングの扉を開けた隙間から顔を覗かせるベッド送りになった三人とアーシェルに向かって声をかけた。

当然、三人は声をかけられた事にビクッと肩を跳ねさせて反応したがアーシェルだけ無表情だ。

 

「月夜と戦う時、辛くなるのはエルトレスだぞ」

「桜夜さん…。」

「お前が苦しんで戦うのを見たくない」

「私ではきっと月夜を救う事は出来ない。でも、少しでも月夜の苦しみを知って話が出来たらって…」

 

桜夜は苦しみながら戦うエルトレスを見たくないと言うがエルトレスは首を振る。それではきっと何の解決にもならない気がした。

 

「偽善者って言われそうだけど、苦しまなきゃ私は月夜と戦えない」

 


18.

 

◆◆◆◆◆◆◆

 

今より随分、昔の話だ。千年の時を生きている神夜と翡翠がまだ子供の頃だった。

山奥にある夜一族の里は常に季節を問わずに桜が咲いていた。それは翡翠の母親である華月が生きていたからだろう。

 

「華月様、破夜様から伝言を頼まれました」

 

当時、小さかった刹夜と翡翠は何時も華月の屋敷で遊んでいた。刹夜と翡翠は仲が良くまるで兄弟のようだと華月も笑っていた程。

庭で遊ぶ刹夜と翡翠を見守っていた華月は夫『破夜』からの使者から伝言を聞き、使者に伝言を託し身支度を始めた。

 

「母様?」

「ちょっとあの人に呼ばれたから行ってくるわね、翡翠。刹夜、悪いけど翡翠を頼むわね」

 

そう言って華月は屋敷を後にした。この時から既に華月はどことなく破夜と距離をとっていた。

もしかしたら、何かを感じていたのかも知れない。

 

「母様、また父上に呼ばれたんだ」

「翡翠?」

「父様は母様より好きな人がいるって。その事かなあ?」

「……誰から聞いたんだ?翡翠」

「父様といつも一緒にいる男の子。黒い髪の」

 

翡翠の話に刹夜は驚きばかりだった。破夜には想い人がいると初めて知ったのだ。

舞い散る桜の花びらの中で華月は時折、悲しそうに笑っているのを刹夜は見た事がある。華月の表情の理由はそこにある気がした。

 

「華月様が帰って来て翡翠が笑っていなかったら華月様は悲しむだろうな」

「今の翡翠は笑ってない?」

「笑ってない。泣きそうな表情してる」

 

刹夜が言えば、翡翠は必死に笑おうと鏡を見に部屋へと駆け上がる。

何故か解らないが華月は翡翠をなるべく破夜に近づける事を避けていた。屋敷も別にして。

父親と会えなくなった翡翠の心は母親を拠り所にしているのは幼い刹夜でも解った。

 

(何があったんだ?)

 

疑問ばかり頭に浮いても幼い刹夜には疑問を解決する手段が解らない。

今、刹夜に出来るのは翡翠と一緒にいてやる事だけだ。

刹夜は翡翠が戻って来るまで縁側に腰を下ろし、分厚い書物を読み始めた。

 

「…えと」

「………」

 

鏡を見に行った翡翠が玄関の戸に隠れている神夜とこの時初めて出逢う。

 

「ごめん、母様なら出掛けてる。君は?」

 

首を傾げて翡翠は戸に隠れている神夜に近づく。翡翠が近寄って来た事に神夜は驚いて後ずさる。

 

「…………!」

 

焦りと驚きから神夜は落ちていた葉に足を滑らせ、見事に後方へ転ぶ。

咄嗟に翡翠は神夜の頭を抱えて神夜を庇うように地面に転がった。


19.

 

神夜と翡翠が出逢ってから時は少し流れて翡翠は少年のように成長し神夜は美しい少女のように成長していた。

刹夜は医学を学び、一族の医師の助手として毎日多忙だった。

 

「翡翠、体調悪いのか?」

 

神夜に「翡翠の体調が悪い」と言われ刹夜は華月の屋敷に訪れていた。華月は不在だったが翡翠は神夜に付き添われ床に伏せっていた。

刹夜は翡翠の傍に座り翡翠に問うが翡翠は顔色の悪い顔を見せて小さく呟く。

 

「血が出てる…」

「?血…?」

 

この時はまだ刹夜も本人の翡翠も自分が男と信じて疑わなかったし、身体は確かに男だった。

 

「痛い、お腹辺りが…」

 

翡翠はそれから体調が一向に良くならないでいたが神夜はずっと翡翠の傍に付き添っていた。

それが破夜の怒りに触れていたとも知らずに。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆

 

時が本の少し経ち、寒い日。庭の桜を眺めながら翡翠は床に伏せっている生活を送っていた。

刹夜に薬湯を煎じて貰ってそれを飲んだり、封印種から血を分けて貰ったりしたが状況は変わらず。腹部の痛みと出血は続いていた。

 

「翡翠……」

 

華月は我が子が苦しんでいるのに何も出来ない歯がゆさを感じていた。刹夜とその師匠の医師ですら原因が掴めず、翡翠は痛みに耐える毎日。

 

「…母様と神夜と刹がいるから大丈夫です。耐えてみせます」

 

辛いのに、痛みに必死で耐える翡翠に華月はまだ幼い翡翠の身体を抱き締める。

破夜は月夜を愛人とし、成長した神夜を愛人にし囲い者(妾)の扱いをしている。華月は破夜が若い少年二人を愛人にした事でどことなく危険を感じていた。

それに神夜は翡翠とも親しい。

 

「何も出来ない母を恨んで、翡翠」

 

このままで済むとは華月は思っていなかった。ひっそりと産み落とした第二子を知り合いに預けて良かったのかも知れない、と華月は改めて思う。

 

「母様………?」

 

母親の哀しげな表情に翡翠は華月を心配し、その背中に手を回す。

 

「……!」

 

突然、華月の脳裏に鈴の音が響く。屋敷の外に張った結界が反応したのだ。

しかも、結界はある特定の人物にのみ反応するようにしてある。

 

「刹夜!翡翠を頼むわ」

 

二重の羽織った着物を翻して華月は玄関へと足早に歩き、玄関へ辿り着く。

翡翠は刹夜が傍にいるからまだ大丈夫だと華月は突然の訪問をして来た夫と対峙した。

 

「何かご用ですか?あなた」

「久しいな。華月」

「翡翠は何処だ?」

 

夫である破夜の問いに華月は答える気は全く無いと、張り巡らせた結界で華月は破夜を威嚇する。


20.

 

神夜は裸足のまま道を走っていた。途中で転んだのか足は所々に擦りむき、土や小石が足についている。着ている薄い着物も乱れ、それでも構わずに神夜は走り続けた。

 

(翡翠、翡翠)

 

翡翠の父親に幾度、身体を抱かれようとも神夜にとっては翡翠だけが心の拠り所で翡翠さえいれば耐えられた。

 

(翡翠と華月様に何をするの?)

 

自分を抱いた後に恐怖に竦みそうな程な無表情でけれど怒りをあらわにした破夜の表情に神夜は嫌な予感がしていた。

刀を手にして破夜は翡翠と華月が住まう屋敷に向かったのだ。

 

(翡翠…!!)

「父様……?」

 

華月を振り切った父親が翡翠の目の前で刀の切っ先を翡翠に向けている。

翡翠は久しぶりに会った父親の変わり様に驚きが隠せない。

 

「破夜様!翡翠は今、体調を崩しています。刀を鞘におしまい下さい!」

 

翡翠の身体を抱き締めて刹夜が叫ぶ。華月は先程、破夜に突き飛ばされて打ちどころが悪かったのか気を失っている。

刹夜は翡翠を守る為に翡翠を後ろへとやる。

 

「一族を統べる長に意見しようとは…」

 

破夜は底冷えするような冷たい瞳で刹夜と翡翠を睨みつけて刀を振るう。

それは刹夜を殺すつもりの動きだと、翡翠は咄嗟に判断し刹夜を突き飛ばした。

 

「翡翠っ!!」

 

刹夜が叫ぶ。

翡翠自身も斬られると覚悟し目を瞑るが痛みは来ない。目を開けた翡翠の視界に映ったのは…。

 

「神…夜…」

 

神夜は自分が手にしていた刀で破夜の刀を受け止めていた。

 

「大丈夫?翡翠」

 

夜一族の証とされる神夜の真紅の瞳は輝く金の瞳に変わっている。

神夜は華奢な身体では考えられない程に強い力で破夜の刀を刀で弾き飛ばす。さすがの破夜も神夜の能力に驚くがそれも一瞬だった。

 

「ダメだよ。神夜」

 

破夜の傍にいた月夜が神夜の腕を掴み引き寄せる。神夜は翡翠と離れさせられ翡翠に向かって「逃げて」と叫んだが、神夜の視界に刀を翡翠に向かって振り下ろそうとしている破夜が映った。

 

「翡翠!!」

 

神夜と刹夜が叫ぶ。翡翠の頭上で振り下ろされた刀は冷たい銀の光を放つ。破夜は本気だ。本気で翡翠を殺すつもりなのだと神夜は月夜に腕を掴まれても、もがいて抵抗した。

破夜の冷たい瞳に足が竦んだ翡翠も目を瞑り、その瞬間に怯える。神夜と刹夜も見たくない、と目を瞑り顔を逸らした。

 

ドシュッ!

 

肉が裂け、血が噴き出す生々しい音が辺りに響く。神夜は恐る恐る瞑っていた瞼を開けて傍にいた月夜が驚いている表情を浮かべているのを目にした。

 

「………華月」

 

月夜は自分が憎んでいた筈の女性の名前を呟く。その時、月夜が何を思っていたか解らないが唯、茫然自失な月夜を神夜は初めて見た気がした。

 


21.

 

「…大…丈夫?翡翠…」

 

血濡れの手がするりと力無く翡翠の頬を撫でた。

辺りには赤い鮮血が飛び散り、かすれた華月の声だけが翡翠の全てを支配する。目を開き翡翠は華月の哀しみに満ちた微笑みを見つめていた。

 

(母様?)

 

刀の刃に心臓を貫かれた華月の身体が力無く翡翠の胸元に倒れ込む。翡翠は華月の身体を抱き締めた。

 

「母様……」

 

ドクン、ドクンと翡翠の心臓が高鳴る。血液が沸騰するように身体が熱くなり、お腹辺りが熱を帯びる。

 

「身体が…熱い!」

 

手足が引きちぎられそうな程な激痛と身体が燃えてるかのように熱くなる。翡翠は身体の苦痛に華月の身体を抱き締めて耐えようとした。

 

(俺は……)

 

意識が遠のく。しかし、自分の中で何かが変わっていくのを確かに翡翠は感じた。

 

「……父様」

 

華月の身体を抱き締めて翡翠は父を呼ぶ。冷たい殺気に満ちた瞳と妻である華月が死んだのに顔色一つ変えずに無表情で翡翠を見下ろしている。

 

「愚かな女だ。」

 

華月を一瞥し、破夜の口から出た一言に翡翠は顔を上げて父親を睨みつけた。

 

「母様を悪く言わないで!」

 

翡翠は叫び、その身に宿っていた封印種の力が翡翠の中で増幅し始める。

翡翠色の髪がのびて身体も細く柔らかい線になり、顔つきも少年から少女へと変わっていく。

そう、翡翠はこの時に『真性封印種』に目覚めたのだ。

 

「………!」

 

その場にいた全員が驚きを隠せずに目を見開き、驚愕する。

 

「許さないっ!!」

 

翡翠の声と共に破夜の身体に鎖が巻きつく。いつの間にか親指を人差し指の爪で切っていた翡翠の親指から血が流れている。破夜に巻きついた鎖は翡翠の親指から流れた血で出来ているので力だけでは鎖から逃れられない。

 

「母様の哀しみ、受け取りなさい!」

 

翡翠は今持てる全ての力を使い強大な水晶に破夜を閉じ込める。水晶ごと破夜を砕いてしまえば破夜は死ぬ。

けれど、破夜と手を繋ぎ一緒に道を歩いたあの日の事を考えてしまうと翡翠にはそれが出来なかった。

母と父を失った翡翠は哀しみから心を閉ざした。


22.

 

「と、まあ俺が知ってるのは大体、ここまでだ」

 

あの頃に比べたら大人になった刹夜は翡翠の過去の一握りを皆に語り、ティーカップの中で揺らめく紅茶を飲む。

華月が死んだ後、翡翠がどうなったか知っているがそれは翡翠と神夜の仲がバレそうなので黙っておく事にした。

 

「月夜と破夜は神夜を愛していたが特に月夜は神夜への想いが強かった。だから、破夜を利用して翡翠を殺そうとした」

 

桜夜は哀しげに目を伏せる。

 

「翡翠さんはその後、どうなったの?」

 

リースラートの質問に翡翠と神夜の事を知らない者達も疑問は一緒だったのか刹夜を見つめる。

刹夜は「う…」と答えづらそうに顔を逸らしたが口を開いたのはエルトレスだった。

 

「お母さんはその後、長く心を壊し人形のように生きていた。真性封印種の力を恐れた夜一族は彼女を殺そうとしたけど…」

 

拳を握り締めてエルトレスは言葉を続けた。

 

「お母さんを守ろうと一族の長になった神夜がお母さんを地下牢に幽閉という名目で屋敷に閉じ込めた。お母さんはその後、神夜の看病もあって精神状態を回復させたらしいけど」

 

破夜の死後にすぐに長になった神夜は自分の屋敷の地下牢に翡翠を幽閉という名目で閉じ込めた。それは翡翠の命を真性封印種を恐れる一族の者から守る為に。

そして人知れずに翡翠と神夜は契りを交わし、翡翠は長い時を経て精神状態を回復させ密かに宿りつつあった二つの命を育む事を決意をした。

そして、幽閉の身でありながら外に出て黒夜に剣術を教えたりしていたようだ。

 

「…エルトレス」

 

黒夜がエルトレスの手を握り締める。

 

「月夜は温もりを手に入れる為に呼んではならない神を呼び、自分と同じように親に捨てられた神夜に執着した。破夜は月夜の読んだ神の力を手に入れようと月夜を自分の傍に置き、神夜も愛人にした」

 

全ての始まりは月夜と破夜だ、と桜夜は語る。

呼んではならない神を呼んだ月夜と神の力を欲しがった破夜。それに巻き込まれた神夜と翡翠。

 

「…終わりにしましょう」

 

エルトレスが決意を込めた凜と響く声と共に真っ直ぐな真剣そのものの表情で言葉にした。

 

「夜一族の里に行き、月夜と神を倒します!」

 


23.

夜一族の里に乗り込む事にしたは良いがエルトレスも先の戦いで怪我を負っている為、今夜は休み明日にしようという結論に至った。

 

「エルちゃんも複雑でしょうね」

 

怪我人組を再びベッドに寝かしつけて一階のリビングに集まった光夜、刹夜、律の三人は酔わない程度の酒を楽しんでいた。

そんな時に律がポツリと呟いた言葉に光夜と刹夜は黙ったまま、酒を飲む。

 

「でも、あの子は多分解ってたんじゃないかな」

 

酒の入ったグラスをテーブルに置いて光夜が独り言のように呟く。

 

「……何にせよ、俺は今度こそ自分の家族と翡翠を守りたいな」

 

弟のように可愛がっていた翡翠と大切な家族を守りたいと決意固く言葉にする刹夜に光夜と律は安心したように笑う。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

所変わって、二階の複数ある寝室の一つである部屋に鎖夜、静輝、宵夜の三人は他愛のない話をしていたが鎖夜が一言発した。

 

「俺、ガキの頃から静輝の事好きだったんだよ」

「鎖夜兄さん、本命いたの?」

 

夜遊び多くて有名な鎖夜に本命がいた事に驚き、宵夜は手に持っていた本を床に落とす。

聞き慣れているのか静輝は平然としている。

 

「静輝に惚れてかなり経つ。告白も293回はしているぞ」

 

鎖夜はしれっと告げる。宵夜は口を開けて「それであんなに夜遊びしてたの」と鎖夜を責めるように言う。

 

「いや、夜遊びしたら妬いてくれるかなーって」

「静輝、夜遊び嫌いじゃん。私も男(朔夜)の時に夜遊びすると怒られるもん!」

 

鎖夜と宵夜の会話を聞いていた静輝が(似た者兄弟…)と呆れていたのは言うまでもない。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

隣の部屋から聞こえる鎖夜と宵夜の談笑に神音は苦笑いを浮かべた。明日、初めて夜一族の里に帰るのだ。神音には故郷と言って良いが解らないが。

 

「珠皇は、家に帰る…よね」

 

何をがっかりしてるんだろう。元々、珠皇は巻き込まれてしまったんだ帰るのは当然だ。

 

「………帰らせたいって顔してるな」

 

珠皇が小さく呟く。「帰らせたい」と思うのは確かだ、でも神音は別の事も考えている。

 

「帰らせたいって思う反面、傍にいて欲しいって思ってるよ」

 

神音が顔を俯かせて呟く言葉に珠皇は「最初からそう言えばいいのに」と神音の身体を抱き締める。

 

「珠皇は…いいの?」

「お前が傍にいない事よりはいい」

 

神音の姿が変化する。それは珠皇と学校に通っていた悠木の姿だ。

珠皇は悠木の肩に手を置いて顔を近づける。

 

「一緒に行こう」

 

珠皇はそう言って静かに悠木と唇を重ねた。


24.

 

「人間じゃなかったんですね。塚本さん」

「ごめん、リース」

 

リースラートは瑠璃の長い髪を櫛で梳く。サラサラした瑠璃の髪はリースラートの手の中で絹のような手触りで気持ちいい。

リースラートと塚本の会話を聞いて瑠璃が不安げな表情を浮かべている。

 

「いいんです。私も色々、隠してましたから」

 

そう呟いたリースラートが視線を棚の上に飾られた花瓶へ移す。花瓶は何も触れていないのにバアン!と粉々に砕けた。

 

「…でも、エルトレス達を利用したのは許せません」

 

リースラートはニコリと花のように笑う。愛らしいがどこか毒気のある笑みだ。

 

「解ってるよ。それには光夜さんから脅されたばかりだ」

 

つい先ほど「無垢な子達を騙して悪い大人だね~」と光夜は口は笑っていたが目は笑っていなく、殺気も隠そうとせずに塚本に言い放った。妹の瑠璃を救う為に塚本はエルトレス達を利用しようとしたのだ。

 

「…私は明日、エルトレス達と一緒に行きます」

 

リースラートは瑠璃の髪を梳かし終わり、瑠璃の頭を優しく撫でた。

瑠璃は振り返りリースラートを見つめる。俯いた瑠璃の表情は解らないが声音は哀しみを含んでいる。

 

「妹さんは私がしっかり守るので安心して下さい」

 

リースラートの言葉がまるで『さよなら』の言葉に塚本は聞こえたが…。

 

「うん」

 

それしか今の塚本に返事は出来なかった。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「アーシェルは行くの?」

「ああ。エルトレスは来るなって言うつもりみたいだけどな」

「そっか」

「お前、このままで良いのかって俺に言っただろ」

「言ったね」

「なら、そんな表情するな」

 

アーシェルと獅奈希はベランダに立ち、会話をしていた。

獅奈希と出逢ってアーシェルは良かった、と思っているが二人の距離は何とも表現しにくいものだ。

友達のようで、だけどそれ以上。しかし、恋人とはなかなか言い切れぬものでもない。

だが、アーシェルにとって獅奈希は大切な存在だ。

 

「私、行かないでって顔してる?」

「………」

 

獅奈希の言葉にアーシェルは押し黙る。意外にさっぱりした性格を獅奈希は持っているのだ。

 

「ま、そう思ってはいたけどね。でも、解ったの。」

「何が」

「アーシェルはお母さんとエルトレスの存在を何よりも大切にしてる事かな」

 

腹の中の赤子に自我があったのか解らないがアーシェルは故意に成長を止めて母親の腹の中にいた。勿論、その状態は母体に良い影響を出さないから自分が生まれてから、母親は長く体調を崩していたのもアーシェルは知っている。

 

「行こうよ、アーシェル。全部とはいかないけどハッピーエンドにする為に」

 

獅奈希の言葉にアーシェルは「ああ」と頷く。


25.

明日には夜一族へと戻り月夜と戦わなければいけない。恐らく、一族の者達とも戦わなければならないのだろう。

エルトレスは黒夜とともに桜夜のもとへと訪れていた。

桜夜は複数ある二階の寝室の一つを使っている。

 

「破夜は力に溺れて全てを見失った」

 

桜夜の紡ぐ言葉は哀しみに満ちている。窓から見える木々や花達は風に揺らされて踊っているようだ。

夜一族にも桜が咲き誇り美しい里だった時もあった。今は草木もしおれて生気を無くしている。

 

「翡翠の想いが破夜を封印した。」

 

水晶の中に閉じ込められ鎖に繋がれた破夜は眠るように目を閉じている。

あの日、華月が死に破夜は封印されたあの日に翡翠は沢山のものを失った。

 

「華月さんは破夜さんを愛してたんですね」

 

エルトレスの言葉に桜夜は頷く。桜の花びらが踊るように散る中で華月と破夜は確かに愛し合っていた。

二人の愛が里を彩っているようだ、と世辞を言う人もいたのだ。

 

「翡翠は母親である華月が目の前で斬られて父親の破夜の心が変わっていた事に気づいた」

 

母親の亡骸を抱き締めて泣き叫んだ翡翠は感情と力を爆発させ、父親を自らの手で封印した。

桜夜が何故、そこまで知っているのかエルトレスも黒夜も深くは追求する気は無い。

 

「華月という女は誰一人として救えなかったんだ」

 

諦め、後悔と沢山の感情が込められた言葉を桜夜は口にする。髪で目が隠れてよく表情が見えないがきっと辛いのだろう。

 

「はっきりとは視えませんでしたが華月さんは月夜の心を救おうとしてたんですよね」

 

エルトレスは時折、自分に関わる者の記憶を視る。エルトレス自身はその能力を恐れているのだが。

 

「きっと桜夜さんなら月夜の苦しみを止めてあげられると私は思ってます」

 

エルトレスは微笑む。翡翠とよく似た微笑みだと華月はふと思う。

桜夜と会話を交わしたエルトレスは黒夜とともに部屋を出て行った。

 

「止める、か…」

 

耳につけてある、何時か少年に贈ったイヤリングの片割れに桜夜は触れて呟く。

 

「そうだな。もう一度逢いに行こう」

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「エルトレス」

「はい。師匠」

 

腕を掴まれてエルトレスは黒夜に向かって微笑む。

 

「…この戦いが終わったら」

 

告げにくそうな黒夜にエルトレスは緊張して途端に身体が硬直する。

 

「私の…に…」

 

いつも冷静な黒夜にしては珍しく顔を赤く染め上げて告げようと言葉にしている。エルトレスは黙って言葉の続きを待つ。

 

「妻になって欲しい」

 

黒夜の熱烈な言葉にエルトレスは顔を真っ赤に染め上げた。

嬉しい、エルトレスの今の気持ちを表すならきっとこの言葉しかないだろう。

 

「…はい!」

 

返事とともにエルトレスは黒夜の胸に飛び込む。黒夜も掴んでいたエルトレスの腕を離してずっと愛し続けていた少女の身体を抱き締めた。


26.

side 月夜

 

真性封印種の核が駒を揃えた。最終決戦に向けて夜一族の里に戻って来る筈。

 

「華月、君の想いは果たされるのかな」

 

あの日、華月を殺すつもりなんて無かった。唯、神夜を惑わせる翡翠が邪魔なだけだったのに華月は迷いもせずに翡翠を庇った。

月夜が破夜をそそのかして翡翠に破夜を仕向けたのを華月はどことなく…否、気づいていたのだ。

 

「君の血筋を継いだ者は恐ろしいな」

 

翡翠は一度は壊れたのに立ち上がって月夜の驚異になりうる存在に充分なった。癒音は持って生まれた『未来を視る』力を発揮し翡翠に助言を与え子まで産んだ。

翡翠の子であるエルトレスも月夜に立ちはだかる存在にまで成長した。

 

「楽しいよ、華月。君の血筋が私を倒すか…否か」

 

月夜はゆらりと歩き。水晶に手をつき顔を寄せる。水晶の中には未だに眠る愚かな男、翡翠の父親であり華月の夫だった男が封印されている。

 

「さあ、最後のゲームを始めようか。」

 

妖艶な笑みを月夜は浮かべる。最後の戦いの幕は上がったのだ。

月夜の瞳に妖しい光が宿る。

 

 

side エルトレス

 

日が明けてエルトレス達は夜一族の住まう山の入り口に来ていた。

 

「神音達は本当に良いの?」

 

光夜が神音と珠皇、アーシェルと獅奈希の四人を見た。エルトレスの想いもあり、この四人は残して来るつもりだった。

 

「私も入れて下さいね」

 

黒いスーツを着こなした塚本が神音とアーシェルの背後に立った。錐夜と瓜二つのアーシェルは溜め息をつく。

 

「覚悟は出来ている。」

 

決意と強い意志がこもったアーシェルの瞳と真剣な表情に光夜はやれやれと肩をすくめる。

 

「いいんですか?塚本さん」

 

リースラートが塚本に近寄って言い放つ。塚本はリースラートに向かって笑い、リースラートの頭を撫でた。

 

「うん。決めたよ」

 

塚本の決心にリースラートは「そうですか」と素っ気なく答えたが、リースラートの表情が穏やかなのを見て塚本は特に何も言わない事にした。

 

「神音」

 

エルトレスが神音を呼ぶ。最初出逢ったばかりの神音とは違う。神音は自分でここに来たのをエルトレスもよく解っている。

 

「母さんの事、夜一族にいけばもっと解る気がする。それに、エルトレスを放って置けない」

 

神音はエルトレスの頭をそっと抱き寄せる。神音の温もりと聞こえる心音にエルトレスは小さく笑った。

 

「…うん」

 

暫くしてエルトレスは神音から離れて皆の方へと向く。

 

「行こう、みんな!」

 

手を握る黒夜にエルトレスも手を握り返した。大切な人達を、掛け替えのない人を守る為に。

 

(理想郷なんて作らせない!)

 

決意を込めてエルトレスは地を蹴った。