03.bloodcross

第三章「悲劇の果て、覚醒の時」

01.


『痛むの?翡翠』


真っ暗な暗闇にエルトレスは一人で立っていると不意に聞こえた凛とした優しい声。

(自分の血に刻まれた記憶の夢)だとエルトレスが理解するのにさほど時間はかからなかった。


『平気だよ、母様(かあさま)』


エルトレスは声のする方を見つめる。

 暗闇の中で座っているのは翡翠色の髪がとても綺麗な10歳ぐらいの子供。

その子供を心配そうに寄り添い見つめているのは長くて白い髪にほんのり桜色が淡く色づいている美しい女性だった。

エルトレスには翡翠色の髪の子供が自分の母親だとすぐに解った。


(おばあちゃん…)


エルトレスは子供の翡翠の傍で微笑む翡翠の母親を改めて見た。

翡翠を守り命を散らせた本当ならエルトレスの祖母になる人。

まだ少女の幼さが残るその人は翡翠の髪を撫で嬉しそうに笑う。

幸せそうな翡翠とその母親。

エルトレスは前々から知っていた。

翡翠の母親が夫に斬られて息を引き取ったのを。

強い力を持つ両親から生まれたエルトレスもまた強過ぎる力を持っていた。


『母様ーーーーーーっ!!』


場面は変わりエルトレスの目の前で少し成長した翡翠が横たわる母親の傍らで泣き崩れている。

夫に斬られた母親はか細い声で何度も「翡翠」と呼んでいた。

 そして、柱の影で笑う月夜。

そう、翡翠の母親の死も翡翠の涙も全て月夜が仕組んだ事。

エルトレスは決意を新たに拳を握りしめた。


(必ず、止めるから)


(だから泣かないで)


(お母さん……)



02.

ちゅんちゅん、と雀の愛らしい鳴き声が耳に届く。

重い瞼をゆっくり開けてぼやけた視界に映るいつもの部屋。

目覚めたばかりの気怠げな身体がようやく感覚を認識し始める。


(…暖かい…)


暖かな温もりに包まれていたようだ。

その温もりに縋るように頬をすり寄せれば優しげな声が耳に届く。


「おはよう、エルトレス」


長くて白い指がエルトレスの目尻から流れた涙をすくい取る。

その時、エルトレスは初めて自分が泣いていた事に気がついた。


「師匠、私…悲しいです」


エルトレスはそう呟き自分の隣に寝転んでいる黒夜の表情を見つめる。

あの夢はとても悲しい夢だ。

仲のいい母娘(おやこ)が引き裂かれる夢。

夢ならば幸せになる夢になって欲しいのに。

しかし、あの夢は何時も真実を語るだけ。


「エルトレス……」


黒夜は唯、ひたすらにエルトレスの頭を撫でる。

エルトレスが何を想い何故、涙しているのか黒夜には想像がついた。

幼い頃からその強過ぎる力でエルトレスは自分に関係する人の様々な記憶を夢で見るのだ。

翡翠と神夜の間から生まれたエルトレスは自身も深く悩むほど強い力を宿して生まれてきた。


「私、何があっても月夜と破夜を止めます」


誰かの犠牲の上に成る理想郷など無い。

強い決意を秘めた瞳でエルトレスは真っ直ぐ黒夜を見つめた。

まるで黒夜の気持ちを見透かしているかのように。

狂った夜一族の秩序。


(運命の決断を迫られるその時まで)


目を閉じ、そして目を開けて黒夜はエルトレスの身体を強く抱き締めた。


(……エルトレスの傍に)


最後にはこの温もりのもとへ帰れる事を黒夜は望んで。


03.


「あ、おはようエルトレス」


まだ肌寒さの残る朝、エルトレスと黒夜がリビングに入ると既に静輝、光夜、刹夜の三人がソファーに座って紅茶を飲んでいた。

その中で静輝がふわりと微笑んでソファーから立ち上がり棚にしまわれた2つのカップを取り出しカップの中に紅茶を注ぐ。


「リースラートと悠木はまだ寝てる、朔夜は夜中から出掛けてまだ戻って来てない」


煙草を吸い煙を吐き、煙草を口にくわえた刹夜はエルトレスと黒夜を見つめて呟く。


「相変わらず、『宵夜(しょうや)』に嫌われてるねぇ、刹」


しみじみと、しかしどこかどうでもよさそうに光夜は静輝のお手製パンケーキをにこにこと笑顔でパクパクと次から次へと食べまくっていた。


「宵夜…何か隠してるのでしょうか?」


静輝は幼なじみで親しい友人である朔夜を心配している。

朔夜の隠し事はいつも朔夜が苦しみを独りで背負っている事。

静輝は瞳に心配の色を滲ませエルトレスを見つめた。


「大丈夫だよ、静輝。宵夜は自分が本当に無理だって思ったらきっと言ってくれるよ」


エルトレスは少女らしい花のような笑顔を静輝に向ける。


「そうですね」


エルトレスの言葉に少し安堵した静輝は微笑む。

長年、一緒にいたのだ。

本当に迷ったり困ったりしたら朔夜はきっと言ってくる筈だ。



「……すまない。朔夜と宵夜は関係があるのか?」



黒夜の突然の質問に全員が黒夜に顔を一斉に向けた。


04.


「黒夜…宵夜は真性封印種なんだよ」


刹夜が溜め息と共に口から煙草の煙を吐いた。

表向きでは神夜の妻、本当は刹夜の伴侶である律(りつ)は真性封印種で宵夜の母親だ。

宵夜は母親の真性封印種の遺伝子を引き継ぎ、幼い頃から覚醒はしていたものの一族に真性封印種だと気がつかれたら幽閉されるのでずっと隠していた。


「………知らなかった」


黒夜が刹夜の言葉を聞いて驚愕の表情を浮かべる。

真性封印種である翡翠の傍にいた筈なのに何も気がつかなかった。


「一族は真性封印種の秘めたる強大な力を恐れているからな。真性封印種として覚醒した奴は必死でそれを隠す運命にある。」


刹夜は煙草を口にくわえて切なげな表情をした。

母・律の遺伝子を引き継ぎ真性封印種として覚醒を果たした宵夜。

本当なら愛する妻・律と可愛い娘・宵夜を守りたかった。

しかし、月夜によって一族を追われた刹夜は一族に戻る事は不可能に近い。


「仕方ないよ、黒夜。翡翠は他の真性封印種を知っていたけど誰にも言わなかったからね」


刹夜の言葉に付け足すように光夜は言って視線を翡翠の娘であるエルトレスに向けた。


「光夜さん」


エルトレスはどういう反応を返せばいいのか困惑の表情を浮かべて僅かに首を傾げた。

光夜の真意は解らない。


「ねえ、エルトレスちゃん。君は知ってるのでは無いのかな?他の真性封印種を」


まるでイタズラをした子供のように無邪気な笑顔と凍るような雰囲気。

光夜はニコッと笑ってエルトレスに言葉を投げる。


「………え?」


エルトレスは目を見開く。

光夜の言っている言葉の意味が。

解らない。

エルトレスには解らないのだ。


自分が生まれた意味が…。


05.


『名前はどうしようか?』

『真名(まな)はエルトレスにしよう。』

『ふふ、お前はエルトレスだ。』

『よろしくな、運命の鍵を握る子よ』


桜の花びらが舞う。

吹雪のようにヒラヒラと。

そして、舞う桜の花びらの中でまだ目の開かない赤子のエルトレスを抱いて笑っているのは翡翠だ。

翡翠は心からエルトレスの誕生を喜んでいるのかとても穏やかな笑顔を浮かべて赤子のエルトレスに話かけていた。


(ねえ、お母さん。私はどうして産まれたの?)

(私は何の役目を負っているの?)


記憶の中の母に話かけたところで返事は返って来ない。


『…エルトレス、お前は核。運命の鍵である核……』


翡翠はそう言って大切に赤子のエルトレスを抱き締めた。


「エル?」

「おーい、エルトレス」

「エルトレス?大丈夫か?」


柔らかく髪を撫でる手と優しい声にエルトレスは我にかえった。

エルトレスの視界に映ったのは心配そうにエルトレスの顔を覗き込む黒夜と静輝の顔。

目をパチパチと瞬きしてエルトレスは先程見た母・翡翠と赤ん坊の自分が何時もの白昼夢だと理解した。


「私…が…核?」


白昼夢の中、翡翠が言った言葉をエルトレスは声に出して呟いた。

黒夜はエルトレスの言葉を聞き僅かに哀しげな表情を浮かべる。

強い力を持つエルトレスは時折、何かを白昼夢で視るのだ。

時には誰かの記憶、時には自分の記憶を白昼夢で視る。


「また、何かを視たのか?」


黒夜はエルトレスの柔らかな金色の髪を撫で心配そうな表情を浮かべた。


06.

 

「………核?」

 

刹夜が訝しげに眉間に皺を寄せる。

翡翠はエルトレスを人知れず産み落とした時、多くは語らなかった。

エルトレスがどういった宿命を背負い産まれて来たのか…。

あの翡翠なら知っていそうだ。

 

「…他の真性封印種、エルトレスの謎。本当に昔から隠し事ばかりだね…翡翠は」

 

翡翠色の長い髪、全てを見透かす真紅の瞳。

常に背ばかり向けていた翡翠の姿が光夜の脳裏に浮かぶ。

 

「お母さんはきっと一族を救いたいから独りで頑張ってると思うの」

 

エルトレスはよく母親である翡翠の過去を夢に見る。

それは翡翠が幼少時に抱いていた気持ちがエルトレスの心に入りエルトレスは切なくなる。

父親に愛されたいと願うものの父親の手で最愛の母親を目の前で殺された絶望、悲しみ、想い。

 

「…でも、私はお母さんと一緒に一族を救いたい」

 

ぎゅっとエルトレスは拳を握り締める。

独りで一族を救おうと戦い続ける母親をもう独りにしたくない。

エルトレスの悲痛な想いに光夜と刹夜は互いに顔を見合わせ柔らかに微笑む。

 

「そうだな、翡翠に逢わないとな」

 

刹夜はそう言ってエルトレスの金色の髪をくしゃりと撫でる。

エルトレスの悲痛な想い、それは自分が長年、宵夜に抱かせた想い。

 

「ま、しーちゃんがエルトレスちゃんに協力するなら…協力を考えても良いよ」

 

静輝がエルトレスに協力しないわけがないのに光夜は照れてるのかエルトレスから視線を逸らして呟く。

若干、光夜の頬が赤い事に気がついた静輝が柔らかく笑った。


07.

 

「私達もエルトレスの味方だから!」

 

ガタン!と物音と共に走って来たリースラートが笑ってそう言った。

リースラートを追いかけるようにリビングの扉を開けてリースラートと共に顔を覗かせた神音がエルトレスに穏やかな微笑みを向けている。

 

「…まずは学校の穴を塞がないとね。魔神が出て来てしまうし」

 

神音はそう言うと光夜が口を開いた。

 

「だけど、あそこの穴は結界が張られてるよ?」

 

学校にある亀裂は魔神を表に出してしまう。

魔神は陰の存在で本来、裏の世界にいなければならない。

魔神が表の世界に出てくる事に人々の負の感情が増され争いを産み陽が失われ世界の陰と陽のバランスが崩れてしまう。

学校にある亀裂は一人の陰陽師が何かの理由で結界を張りその結界は張った本人でなければ解けない。

無理矢理解けば結界を張った陰陽師の命に関わる。

そして亀裂に結界を張った陰陽師は神音の想い人。

 

「大丈夫。珠皇(すおう)から貰ったペンダントがあるから。ペンダントを珠皇の身代わりにする」

 

神音はそう言ってペンダントを胸元から取り出す。

人外の者から見たらペンダントには『護身術』がかけられているのが解るのだろう。

ペンダントに『護身術』をかけ神音にペンダントを渡した人物はきっと神音を想っていたのだろう。

 

「本当に良いの?そのペンダント壊れちゃうよ?」

 

神音は人である事を捨て人外である道を選んだ。

人として生きられない、だから『初めから存在しない者』として神音は今まで自分を見知っていた人達から神音の…人として生きていた悠木(ひさぎ)の記憶を消し去った。

そしてペンダントは唯一、神音と想い人である珠皇を繋ぐ物。

だが、無理矢理壊す結界の力の波動にペンダントはきっと耐えられず壊れてしまう。

気遣うエルトレスの問いに神音は小さく笑う。

 

「魔神が溢れる世界になったら珠皇はきっと哀しむ。それが嫌だから…」

 


08.

――――side ???

 

「…このまま、あのガキの思い通りにするには流石に腹が立つな…」

 

少し前まで神音である悠木が通っていた学校の屋上。

屋上から生徒が落ちないように張られたフェンスの上に立ち学校を見下ろし口の端を吊り上げて笑った。

 

「いい加減に動くとするか」

 

顔立ちは誰もが見惚れる男前な美男子。

髪は艶やかなピンク色で瞳は真紅。

身長もそれなりに高い。

 

「今夜、錐夜達が動く。俺は錐夜達と接触する、朔夜と瑠璃は頼んでいいか?律(りつ)」

 

彼はそう言って振り返る。

振り返った先にいる人物は笑う。

 

「無論だ、桜夜様。」

 

長い金の髪には所々、真紅の色が入っている。

瞳は夜一族の証ともされる真紅で顔立ちは中性的で美男子。

『律』と呼ばれた中性的な美男子は空を見つめる。

魔神の力が増幅されてるのか太陽が見えない曇り空。

 

「驚くだろう、娘も旦那も。まさか、律が真性封印種として動いてるとは、な」

 

悪戯っぽく笑うピンク色の髪を持つ美男子。

 

「俺は何時だって『核』の心のままに動く。」

 

待ち続けた真性封印種の『核』の誕生。

まさか、翡翠の腹に宿るとは思いもしなかったが。

律は我が子と共に育つ『核』となる子を見守り続けて来た。

 

「それは俺も同じ。俺達は『核』の心に寄り添い『核』と共に生きる。」

 

『核』が世界を滅ぼせというなら世界を滅ぼす。

けれど『核』は絶対にそれを望んだりしない。

 

「月夜は翠に封印された破夜を復活させる為に瑠璃を贄にしようとしている」

 

陰で満たされた世界に紅き月が空に昇り巫女の血で封印は解かれる。

月夜の狙いは破夜を復活させる事。

古(いにしえ)の夜一族の血を受け継ぐ破夜は強大な力を宿している。

 

「新世界を創らせるわけにはいかないからな、行ってくる」

 

そう言って律は学校の屋上から姿を消した。


09.

学校にある結界に護られた亀裂を錐夜、黒夜、静輝、光夜、神音が向かい。

朔夜を捜すのは刹夜とリースラート。

 

「朔夜を捜すのは血を分けた父親の方が何かと有利だろう。」

 

刹夜は別れ際にそう言って笑った。

『血を分けた父親』その言葉にはきっと他人では判らない沢山の想いがこもっている。

妻への愛と信頼。

子への想いと絆。

自分の不甲斐なさ。

家族を守れない愚かな己。

 

「朔夜と無事戻って来て下さいね」

 

静輝が心配そうに刹夜に言う。

 

「ああ。任せろ」

 

刹夜は静輝の不安を振り払うように笑いリースラートを連れて朔夜を捜しに行った。

 

「俺達は学校へ行くぞ。必ず魔神との戦闘がある」

 

亀裂は今も尚、魔神を表へと出している筈だ。

それを塞ぐには魔神との戦闘は十分有り得る。

もしも、月夜が力で亀裂を発生させ何らかの理由で珠皇に結界を創らせたのなら、夜一族の刺客が送り込まれる可能性も無くは無い。

錐夜は曇り空を見上げる。

 

(この曇り空は本当に月夜だけの力なのか…)

 

己に流れた強い力を宿した血はまるで警告のように心臓を高鳴らせる。

『戦え』『守れ』『アレが目覚める前に』『鍵を破壊しろ!』と。

 

「……。」

 

曇り空を見つめる錐夜の真紅の瞳を見つめ光夜は小さく息をついた。

謎多き真性封印種。

希少種で滅多に生まれない封印種の真の姿。

光夜が確認しているだけで翡翠、朔夜(宵夜)、錐夜(エルトレス)、神音(悠木)。

100年の時代の重なりにここまで真性封印種が存在していた事はない。

それに夜一族の長すら管理出来ていない真性封印種はまだいる筈だ。

 

「行こう、皆さん。」

 

胸元に光るペンダントを握り締めた神音がそう言い放ち皆は学校へと向かった。


10.

―――side 朔夜

 

一体、どれくらい走り刀を振るったのか。

朔夜は金の髪を揺らし魔神(まがみ)を斬り伏せてすぐ後ろで走る瑠璃(るり)と天河(てんが)が走りやすいように道を作る。

 

(何故、魔神の群れが……?)

 

瑠璃と天河が心配で逃がした二人の様子を見に来たら瑠璃と天河は魔神の大群に囲まれていたのだ。

急いで助けに入った朔夜は魔神を斬り伏せて何とか退路を作る。

 

(何とかして錐夜達と合流しないと)

 

今は瑠璃と天河を守るだけで精一杯だ。

朔夜が退路を作り走っていたが突如、まかの群れが道を作るように退いた。

朔夜は走るのを止めて立ち止まる。

 

(俺としたことが油断していたな)

 

魔神を斬り伏せて退路を作る事に集中し過ぎて二つの気配に気がついていなかった。

 

「…朔夜様?」

 

急に立ち止まった朔夜を案じ瑠璃が不安そうに朔夜の顔を見つめた。

 

「どちらに行かれるのかしら?」

 

カツンとハイヒールの足音がやけに響く。

魔神の群れが退いた道に現れたのはスラリとしたスレンダーな体躯に豊富な胸。

黒のドレスに入ったスリットから覗く白い脚。

美しい夕陽の色を宿した髪に夜一族の真紅の瞳。

美しい美貌の女性がクスリと小さく笑う。

 

「……こりゃあ、また」

 

美女の姿を視界に映した朔夜は苦く笑った。

美女の名は美しい月と書いて『美月(みつき)』という。

朔夜である宵夜が今も尚、想い続ける当代の長たる白夜の妻となる女性。

それが美月。

 

「…紅い…瞳……」

 

瑠璃が哀しげに瞳を揺らし天河に縋りつく様に抱きつく。

瑠璃にとって夜一族の真紅の瞳は『死神の瞳』だ。

自分を何かの生け贄にする死神。

瑠璃を強く抱き締め天河はキッと鋭い視線で美月を睨んだ。

 

「……巫女姫 瑠璃殿、我々と来て頂こう」

 

美月を守るように現れた人物が低くも美しくよく通る声音で言い告げた。


11.

―――side 朔夜

 

「………!」

 

朔夜は目を見開いた。

美月を守るように朔夜達の目の前に立ちはだかるのは朔夜が叶わぬ想いを抱え続け、けれど何よりも誰よりも守りたい人。

 

「こうも早く出て来るとはね」

 

予想外過ぎる人物の登場に朔夜は瑠璃と天河の事を錐夜達に話をして置くべきだったと今更、後悔した。

銀の長い髪を一つに束ね鋭い真紅の瞳。

美しく整った美貌、冷たい雰囲気。

夜一族の当代の長にして宵夜である朔夜の兄だった人物 白夜。

 

「瑠璃殿、我々と一緒に来て頂こう」

 

鋭い視線が真っ直ぐ瑠璃を見つめる。

その視線から庇うように瑠璃と天河の前に朔夜は立ち白夜と美月を睨む。

 

「連れて行かせない!」

 

二刀を構え朔夜は白夜と対峙する。

白夜は知らない、朔夜が宵夜である事を。

元々、母・律の言いつけで宵夜は女でありながら男のフリをして自分が真性封印種である事を隠していた。

 

(今の俺は兄上の敵。)

 

朔夜は刀を手に駆け出し瞬速の速さで白夜の懐に入る。

しかし、朔夜が刀を振るうよりも速く白夜は既に朔夜の肩を斬りつけていた。

 

「朔夜様っ!」

 

瑠璃が叫ぶ。

 

「…っ!」

 

肩から飛び散る鮮血と切れた神経が悲鳴を上げる。

朔夜はぐらりと足がふらつくが何とか踏み堪え白夜を睨む。

 

(やはり、兄上はお強い。…けれど)

 

このまま月夜が新世界を創れば親友はきっと涙を流す。

瑠璃が連れて行かれれば瑠璃は幸せを知らずに生け贄にされ悲しみと絶望の中で命を落とさなければならない。

父親の帰りを待ち続ける母は新世界など望まない。

月夜の為に存在する新世界を白夜はきっと望んでいない。

 

(俺には守りたいものが沢山ある)

 

想いを糧にして朔夜は刀を握り締めて白夜のもとに駆け出す。

その想い溢れる眼差し、必死な表情が白夜の目には宵夜に見えた。


12.

―――side 白夜

 

強い意志を秘めたあの真紅の瞳、勝てないと解っていながら向かって来るあの凛々しい表情が白夜には朔夜が宵夜に重なって見える。

 

「お前は」

 

震える声で白夜は小さく呟き刀を握る白夜の手に迷いが生まれ震えた。

自分に向かって来る青年がもしかしたら愛しい宵夜だとしたら…。

 

『兄上』

 

白夜の脳裏に宵夜の声が聞こえ白夜は刀の柄を握っていた手から刀の柄を手放した。

朔夜が宵夜なら此処で胸を貫かれても良いと白夜は思う。

 

(そうすれば離れずに済む…)

 

一族の皆の命とかを背負わずにずっと宵夜の傍にいられる。

 

(愛している。宵夜)

 

白夜は朔夜に向かって微かに微笑む。

朔夜はそれに気づき目を見開き駆け出した足を無理矢理、軌道を変えて地面に身を投げ出した。

 

「宵夜(しょうや)…、宵…!」

 

白夜は地面に身を投げ出した朔夜の傍へと走り寄り朔夜の身体を抱き締める。

 

「……白夜兄様……」

 

朔夜の目尻から一滴の涙が零れ落ちる。

 

「信じていてくれ、宵。俺は…」

 

低くけれど優しい声音が朔夜の耳に言葉を囁く。

白夜は微かに笑う。

自分が死醒種である限り自分は月夜から逃れられない。

ならば、全てを愛しい人に託そうと思う。

―己の命さえも。

 

ヒラリと舞う血染めの花びら。

赤く真紅の花びらが地面に音も無く落ち。

 

「何をしているのかなあ?白夜」

 

何事も無いような声がした後。

静かに音も無く白夜と朔夜の腹は一振りの刀に貫かれていた。


13.

―――side 朔夜

 

「うあっ…!」

 

痺れるような痛みを感じ、朔夜は白夜から離され再び地面に転がる。

肩のジクジクとした痛みと腹を貫かれた痛みに息を乱し痛みによって涙で潤む視界に映ったのは、腹を貫かれた白夜を抱き締める人物の姿。

 

(………!!)

 

白夜を抱き締めて笑う人物を見て朔夜は目を見開く。

夜空に浮かぶ銀の満月を思わせる長い髪、人外すら越えたような整いすぎた美貌。

この場に出て来る事さえ予想外過ぎる人物 月夜(げつや)の登場に朔夜は自分の身体が震えるのが解った。

 

「やあ、邪魔な真性封印種。随分と苦しそうだねえ」

 

蜜のような甘い響きの声に朔夜は唇を噛み締めた。

まさか、こうも早く月夜が出て来るとは思いもしなく。

 

「美月、彼を楽にしてあげなさい」

 

月夜はそう言い放ちニコリと残酷な笑顔を浮かべる。

美月は月夜の言葉に従いゆっくりとした足取りで朔夜の方へ向かった。

 

「朔夜様ああぁぁっ!」

 

動けない朔夜の命の危機に瑠璃が涙を流して叫んだ。

絶望の闇が辺りを浸蝕する。

月夜が酷薄に笑う。

 

(宵夜………!)

 

貫かれた腹が痛み、白夜の意識を霞ませる。

動かない身体を引きずってでも本当は助けたいのに身体は本当に動かない。

 

「さようなら、真性封印種」

 

月夜の言葉と共に美月が手にした刀を朔夜に向かって振り下ろした。


14.

 

「朔夜………?」

 

学校へと続く道の途中。

錐夜の脳裏には朔夜の姿が浮かび胸がざわついた。

立ち止まって振り返るが今の自分ではどうしようも無い。

朔夜を捜しに行った刹夜とリースラートが朔夜を無事連れ帰ると錐夜は信じていた。

 

「…何だか、不気味ですね。まだお昼なのに住宅街で声もしないなんて」

 

何時もならはしゃぐ小さな子供の声や鳥の鳴き声、誰かの話声が聞こえる筈なのに今のこの住宅街は静寂に包まれて一切の物音さえしない。

静輝は辺りを見回す。

曇り空に静寂の住宅街。

まるで別世界だ。

 

「まさか…結界か?」

 

神音が呟き錐夜はそれに頷いた。

 

「どうやらだれかがこの街に結界の領域(テリトリー)を設定したようだね」

 

真紅の瞳を細めて光夜が曇り空を見つめた。

巧妙に隠された結界の糸が光夜の目に微かに映る。

 

「この曇り空が結界に俺達が入り込んでいる証拠だ」

 

結界を張った人物は相当な術の使い手だろう。

まるで街一体に張られた結界は巧妙に隠され入り込むまで錐夜ですら解らなかった。

 

「結界の中で戦う分には現実の世界に被害が無いから良いけど」

 

結界とは見えない壁で対象を囲うのが一般の使い方だ。

しかし、応用すれば結界の対象を中心に設定し結界を張りなかに異次元空間を出現させたり幻覚を見せたりする事も可能だ。

神音は周囲を見渡す。

 

「…この力は月夜の力?」

「それか或いは……神夜の力だ」

 

神音の問いに錐夜は眉間に皺を寄せて答えた。

目を細めて結界を錐夜は見る。

 

「…錐夜、学校へ行きましょう。今は魔神を産む亀裂を封印しなければ」

 

静かで凛とした静輝の声が錐夜に言葉を紡ぐ。

そうだ、今は何よりも先に陰の魔神を産む亀裂を封印しなければいけない。

錐夜は拳を握り締め前を向く。

 

「行くぞ」

 


15.

静寂に包まれた街の中を移動していた錐夜達は急に感じた気配に足を止めた。

その気配はよく一族で感じた気配だ。

 

「鎖夜…」

 

静輝と光夜が気配のする方へ向き呟く。

当代の長・白夜の実兄で刹夜の弟子でもあった覚醒種。

術が使えない分、覚醒種の肉弾戦の戦闘能力は目を見張るものがある。

 

「久しぶりだな、静輝」

 

銀の髪を後ろで纏めたオールバックの髪型に一族の証とされる真紅の瞳。

白夜は中性的な美人だが鎖夜は男らしい色気を放っている。

煙草を口に咥えた鎖夜が住宅街の一角から現れ静輝や錐夜達の方へ歩いて来た。

 

「相変わらずニコチン野郎ですね、鎖夜」

 

ニコッと静輝は無邪気な微笑みも浮かべて戦闘の構えを取った。

刹夜の弟子で長年の幼なじみである鎖夜の強さは静輝にはよく判っていた。

 

「皆さん、早く行って下さい。ここは私が鎖夜と戦います」

 

月夜は恐らく白夜を脅して一族を人質にしているのだろう。

なら、弟想いの鎖夜は自分達を倒しに来た筈だ。

 

(けれど、私達も譲れません)

 

静輝は決意を固め、真っ直ぐ鎖夜の方を見た。

 

「静輝…」

 

錐夜が心配そうな表情を浮かべて静輝の横顔を見た。

 

「大丈夫です。錐夜は早く亀裂の所へ」

 

静輝がそう言って微笑む。

錐夜は静輝のその言葉に黙って頷く。

 

「静輝、危険だと思ったらすぐに逃げろ!」

 

錐夜は言って神音や黒夜、光夜を連れて学校の方へ向かった。

それを見届けて静輝は小さく呟いた。

 

「御心のままに」

 

『核』の心は絶対。

静輝は小さく笑み。

 

「始めましょう、鎖夜」

 

それが合図となって鎖夜と静輝は駆け出していた。


16.

静輝に言われるまま錐夜達は学校を目指していた。

 

(胸騒ぎがする……)

 

ドクン、と大きく脈打つ心臓。

錐夜は胸を押さえてこのまま進むべきか否か迷う。

 

(迷っている暇など無い…)

 

このまま学校に潜む異界を繋ぐあの亀裂を放置すれば沢山の命が失われる。

人、動物、大地…この世界に生きる数多の命が。

陰と陽の調和が崩れて世界を陰が覆った時。

 

全てが終わる。

 

「錐夜、また別の気配が…」

 

神音の声で我にかえった錐夜が気配を探る。

光夜と黒夜も新たに現れた気配に身を構えた。

コツ、コツと靴音が静寂に包まれた住宅地に響く。

 

「凛夜(りんや)…」

 

住宅の影から現れたのは水色の肩につく長さの髪と夜一族特有の真紅の瞳。

中性的で整った美貌に長身の美男子。

光夜は見知った顔でもある現れた青年を見て彼の名を呟き苦く笑う。

 

「お久しぶりです。光夜殿、黒夜殿」

 

そう言って凛夜はクスリと美しい笑みを浮かべ。

 

「…今は裏切り者と呼んだ方が正しいでしょうか?」

 

笑みを深めた凛夜は愛用の槍の柄を握り締め槍を構える。

 

「ちっ…!何であっちこっちから一族の実力者が現れる」

 

光夜は忌々しげに舌打ちをし凛夜を睨みつけ自分の武器である鎌の柄を握り凛夜の方へ駆け出した。

 

「黒夜!錐夜と神音を連れて先に。俺は凛夜を抑える!」

 

ギイィン!と金属同士がぶつかり合う音と共に光夜が声を上げる。

黒夜はそれに応えるように錐夜の腕を掴んで走り出していた。

神音もそれに続き光夜は遠ざかる3つの気配に安堵の笑みを浮かべ凛夜と戦い始める。


17.

 

「鎖夜に凛夜…。夜一族でも重要な役割を持つ二人が何故、ここに」

 

黒夜は錐夜に腕を掴まれ連れられて走りながら呟いた。

刹夜の弟子であり強い戦闘能力のある鎖夜は夜一族の長となった弟、白夜の補佐だ。

白夜を支えなければならない立場として日々、多忙だ。

一族の中で最も長けた占い師でもある姉の架夜を支えている凛夜も相当な実力者だ。その二人が自分達を襲って来た。

早く亀裂を封印しなければならない錐夜達はバラバラに散って動かなくてはならない。

 

「月夜が動いてる可能性がある。」

 

黒夜がそう静かに言って強く錐夜の腕を握った。

 

「錐夜」

 

不意に神音が錐夜を呼ぶ。

錐夜は神音の方へ向いた瞬間。

 

ギイン!

金属がぶつかり合い弾く音が錐夜に聞こえ、同時に強く腕を引っ張られた。

 

「…師匠…」

 

錐夜の喉から情けなくも震えた声が出た。

刀を構えて錐夜を後ろにやった神音が同じく刀を構えている黒夜と対峙していたのだ。

 

「…黒夜さん、貴方の向かう方に学校は無いよ」

 

言って神音は目の前に立つ黒夜を睨みつける。

 

「師匠、まだ…月夜の術が…?」

 

だが、錐夜の目に映る黒夜の双眸には光は失われていなかった。

あの時のように月夜には操られていない。

恐らくは彼の意志で。

 

「私は元々、破夜様に仕える従者。封印された主を封印から解き放つ事が私の使命。」

 

ジャリ…と黒夜の足が地面を踏みしめる。

黒夜の紡ぐ言葉に錐夜は顔を俯かせた。

 

(知らなかったわけでは無かった。師匠が…あの男の配下だと)

 

錐夜に流れる血は何時も錐夜に警告の夢を見せていた。

母を殺そうとし祖母を殺した祖父とその傍らにいた少年の黒夜。

繰り返し何度も見る夢で錐夜は知っていた。


18.

―――side 月夜

 

 

昔、馬鹿な女を見た。

絶望の淵に追いやられけれど決して希望を失わない馬鹿な女。

 

『可哀想ね、月の夜の雫』

 

翡翠を産み落とした桜色の髪の女はそう言って笑う。

どんな状況に立たされても女は常に凛としていて強い意志を持っていた。

その真紅の瞳は何時も全てを見抜いている。

馬鹿でとても恐ろしい女。

女と結婚した破夜を誘惑し女を絶望に陥れるつもりで翡翠を殺そうと破夜を差し向けたのに。

あの女は翡翠を庇って死んだ。

斬られた女から鮮血が飛び散る。

けれど死に逝く女の目は…。

 

『可哀想ね、月の夜の雫』

 

あの時と同じ。

憐れみも憎しみもない。

唯、強い光を持った双眸。

 

『愛が欲しいのでしょう?なら、溢れてるじゃない』

『貴方は愛されてる。早く気づきなさいよ』

 

女が事切れた瞬間、芽生えた感情は何だったのだろうか。

喉が焼けるように熱く、胸が苦しい。

目の奥が熱くて唇が震えた。

 

「華月(かげつ)…」

 

女が死んだ時、初めて女の名前を呼んだ。

馬鹿で強い女の名前。

翡翠を産み落としエルトレスに血脈を繋げる女。

 

『私は貴方も救いたい』

 

女の声が今でも耳に残っている。

離れる事の無いその声が脳裏を何時も過ぎる。

 

「救えるわけが無い。お前は死んだ華月」

 

全てを手に入れて『新世界』を創造する。

それが生きる為に背負った己の罪。

 

『月夜、貴方は――‥』

 

止める事の出来ない歯車。

唯、狂い狂い狂い。

運命は悲劇の果てに何を見いだすのか。

 

「………」

 

もう誰も後戻りなど出来はしない。


19.

ダアン!と大きな音をたてて神音の身体が住居の壁に叩きつけられる。

 

「神音っ!!」

 

錐夜が声を上げて神音を呼ぶ。

しかし、神音に気を取られた錐夜に向かって突如、細剣(レイピア)のような黒いモノが襲いかかり。

 

「っ!!」

 

ドスッ!ドスッ!と数回、鈍い音がし、錐夜の身体が貫かれた。

両肩、両足、両腕、腹を貫かれた錐夜は声にならない声を上げて地面に倒れる。

 

「錐夜っ!!」

 

神音が叫び、急いで錐夜の方へ走り出す。

だが、黒夜はそれを許さず神音の首筋に刀の刃を突きつけた。

 

「………しょ……やめ…」

 

ずるり、と錐夜の血を纏った黒いモノが抜かれ血だらけの錐夜が神音の方へ手を伸ばすが。

 

「所詮、真性封印種もその程度ね」

 

艶やかな少女の声が聞こえ、神音の方へ伸ばした錐夜の手が靴のヒールに踏まれる。

痛みに錐夜は顔を歪めた。

 

(くっ…!せめて神音だけでも)

 

動かせば傷から痛みが走る。

錐夜は必死で痛みを堪えて瞑っていた瞼を開けた。

視界に映るのは自分の手を踏むブーツのかかと。

そして黒夜に刀の刃を突きつけられている神音の姿。

 

「神音…師匠…」

 

ドクン、ドクンと心臓が脈打つ。

熱い、と錐夜は思った。

産まれた時からある背中の印。

真紅の十字架の刻印。

その刻印が熱を持って疼く。

 

(…俺の…声を聞き届けろ。)

 

踏みつけられてない方の手、震える指先で錐夜は地面に十字架を描く。

神に助けを請うわけでは無い。

 

それは自分と深く

 

絆を繋ぐ者達に

 


20.

――side 静輝

 

「!」

 

呼ばれた。

静輝は聞こえた錐夜の僅かな『声』に焦った。

きっと、今の錐夜の状況は良くないのだろう。

 

(早くいかなければ)

 

静輝は目の前に立つ鎖夜を睨みつけた。

 

「……怖いな、静輝」

「恐れるなら早く退いて下さい」

 

バン!と大きな音がたつ。

鎖夜の投げたナイフが数本、静輝の前で粉々に砕け散って落ちる。

 

「鎖夜、貴方は本当に弟想いですね」

 

静輝はそう言って小さく笑う。

 

「ですが、私にも譲れない想いがあります。ですから、ここからは…」

 

両腕を前に出す。

静輝は真剣な表情を浮かべて瞼を閉じる。

意識を集中し感覚を変える。

それは性転換能力を持つ者だけが可能に出来る奇異の力。

静輝の姿が変わる、中性的な美人では無く理知的で美しい姿の青年へ。

 

「俺が本気を出そう」

 

ぐずぐずしている暇は無い。

目の前の鎖夜を何とか退かせて錐夜を助けに行かなければ…。

男なった静夜(しずや)は駆け出し手にした愛刀の柄を握り締め鎖夜に斬りかかる。

 

「真性封印種だったのか!?静輝っ!!」

 

静夜の刀をナイフで受け止めた鎖夜が驚愕に声を上げた。

目の前の無表情な美男子がまさか、静輝だとは。

性転換能力を目の当たりにしても信じがたい。

 

「遥か昔から一族の中でも異端扱いされていた真性封印種。稀に産まれる真性封印種達は封印種と偽り身を寄せ合っていた…だが、一族を憎んだ事は無い」

 

鈍い音と共に静夜に蹴られた鎖夜が吹っ飛び壁に身体を叩きつけられる。

静夜は刀の刃を鎖夜の首筋に当て。

 

「静輝。俺を殺れ、そして一族を救え」

 

鎖夜は静夜の想いを悟り、微笑んで静夜に言う。

月夜は冷酷だ。

もし、鎖夜が錐夜達の誰か一人も始末出来ずに里へ戻れば白夜が罰せられる。

それに鎖夜とて解っていた。

今、一族がしている事がどれだけ許されない事なのか。

なら、友人に全てを託し―‥

 

「阿呆」

 

静夜は短く呟くと刀の刃を返し斬る事が出来ない刀の刃の背で鎖夜の腹を殴った。

所謂、峰打ちだ。

鎖夜は気を失い地面に倒れる。

 

「俺は一族を愛しているからな。犠牲者は出さん」

 

ぶっきらぼうにそう言って静夜はすぐさま、跳躍して錐夜のもとへ急いだ。


21.

――side 朔夜

 

 

嗚呼、死ぬのか。

父と親子の名乗りもしないまま。

白夜に真実を告げぬまま。

朔夜はギリッと拳を握り締める。

 

(……!)

 

振り下ろされる刃。

死はすぐそこまで迫っている。

なのに、身体は動かず朔夜には目を瞑る事しか出来なかった。

ドシュッ!

鈍い音と血の臭いが朔夜の鼻を掠める。

しかし痛みは来ず、朔夜が目を開け視界に映ったのは…。

 

「…父さん……!」

 

朔夜を庇い腹を貫かれている刹夜の姿。

朔夜は目の前の光景に唇が震えた。

 

「今まで、親らしい事してやれなかったからな…」

 

そう呟いて刹夜は自分の腹を貫く刀の刃を腹から抜き去り。

朔夜の方へ振り返り笑う。

 

「朔夜、大丈夫…じゃないな」

 

刹夜は刺された腹の痛みに耐えて朔夜の身体を抱き起こすと強く抱き締めた。

 

「父さん……」

 

朔夜の目尻から一筋の涙が頬を伝う。

嬉しかった。

父親と呼べる事が子供だと認めて貰える事が。

 

「…!刹夜さん、朔夜さん!逃げて下さい!」

 

負傷した刹夜と朔夜にトドメをさそうと美月が刀を構え直す。

リースラートがそれを見て声を上げた。

 

「ちょっと、お母さんは放置なわけ?」

 

ヒラリ、と桜の花びらが雪のように舞う。

そして無数の花びらが吹雪のように刹夜と朔夜の前に吹き乱れ。

桜の花びらから姿を表したのは。

 

「母さん……」

 

朔夜の母親で刹夜の伴侶と呼ぶべき女性。

『律(りつ)』は朔夜に応えるようにニコッと笑った。


22.

――side 朔夜

 

艶やかな金の髪。

一族の証の真紅の瞳。

少女らしさが抜けない、けれど美しい美貌。

朔夜と刹夜は目を見開き現れた女性にただ、ただ驚く。

神夜の側室で朔夜の母親。

 

「久しぶり、ね。月夜」

 

朔夜の母親である律(りつ)はそう言い笑う。

 

「何故、ここに?」

 

月夜も現れた律に驚きが隠せなかった。

あの、弱く常に神夜に庇われていた側室。

神夜の正妻『睦月(むつき)』が律を襲うとした際に律を庇ったのは神夜と宵夜だった。

あんなにも弱く月夜を苛つかせた律が今、自分の目の前に立ち余裕の笑みを浮かべている。

 

「何故、ここにと言われるとねー。まあ、可愛い子供と恋人を助けにって事よ」

 

律が何気なく呟く。

 

「やはり、宵夜は刹夜の子供だったのか」

 

側室といえどあれだけ神夜に大切にされていた律が何故、宵夜を次代の長にさせなかったのか。

月夜は不思議だった。

けれど、宵夜が神夜の血を引いてないなら話は納得いく。

月夜はクスリと小さく笑うが律の余裕の笑みは崩れない。

 

「あの翡翠一途なお馬鹿神夜の子供なんて産めるわけないじゃない。神夜が今も昔も愛していたのは翡翠よ」

 

悲しみに震えていた翡翠を支えたくて神夜は月夜と決別したかった。

翡翠を友として支えていた律はそれなりに神夜の存在を認めていたのだ。

 

「黙れ!律っ!!」

 

月夜が叫んだ。

神夜を愛し想って来た月夜には聞きたくない言葉。

神夜が翡翠を今も愛している。

それは真実だ。

 

「月夜、貴方こそ気づかないままでいいの?華月様の想いを―‥」

 

憎しみも怒りもないあの時の華月の瞳が今も脳裏に過ぎる。

月夜は刀の柄を握り締めて律に襲いかかった。

 

「律っ…!!」

 

刹夜が声を上げる。


23.

――side 朔夜

 

キイン!と綺麗な音をたてて刀が弾かれる。

刀は回転しながら宙を飛び地面に突き刺さった。

 

「甘いな、月夜」

 

金の髪に真紅が入った美しい髪。

一族の証とされる真紅の双眸は透き通っている。

美貌の青年は真紅の双眸を細めて口の端を吊り上げて笑う。

 

「…!真性封印種っ!」

 

月夜が目を見開く。

先ほどまで律という女性は一瞬にして男へと姿を変えた。

美しい美貌と金の赤混じりの髪。

 

「この姿の時は律夜と呼べ」

 

そう言って律である律夜は月夜の刀を弾き飛ばした刀を構えて月夜の胸から心臓に刀を突き刺した。

 

「………ぐあっ!」

 

月夜は心臓を刀で貫かれ口から血を吐く。

律夜は顔色一つ変えずに月夜の耳に唇を寄せて。

 

「俺相手に分身は荷が重いぞ?月夜」

 

律夜の刀の刃は月夜の血で濡れる。

月夜は心臓を貫かれているというのに余裕の笑みを浮かべ。

 

「フフ、今日のところは退いておいて上げるよ。律夜」

 

そう言って月夜の身体は美しい白の花びらに変わって風に吹かれて消え去る。

美月と白夜もその姿を消していた。

一族の里にいるであろう月夜本人が美月と白夜を転移式召還術で一族の里へ戻したのだろう。

 

「ふん、まずは退かせたか」

 

律夜は小さく呟き、刹夜と朔夜の方へ歩み寄った。

 

「母さん」

 

朔夜が不安そうな表情を浮かべて律夜を呼ぶ。

 

「黙ってて、すまない。朔、刹」

 

律夜は女性である律の姿へと戻り朔夜と刹夜を抱き締めた。

傷ついた我が子と愛しい人。

色々、知っていて黙っている律は二人に申し訳無かった。

月夜の事や翡翠の母親、律が心に秘めている真実。

 

(…ごめんね、まだ言えない)

 

けれど、傍にいる。

我が子と愛しい人の傍に。


24.

――――side 月夜

 

「…………」

 

夜一族の長の屋敷の地下室で椅子に座った月夜が瞑っていた瞼をゆっくり開く。

月夜の視界に映るのは翡翠に封印された破夜が強大な水晶に閉じ込められ鎖で繋がれている姿だ。

翡翠はあの時、父親への情があった為に破夜を殺せず封印だけに留めた。

翡翠の父親である破夜は強大な水晶に閉じ込められ今も封印は解かれる気配すらない。

 

「どうやったらこんな封印の仕方になるのやら…。真性封印種は恐ろしいな」

 

月夜は呟いて自分の膝に頭を乗せて眠る神夜の髪をゆっくり梳いた。

規則正しい神夜の寝息が月夜の不安を和らげる。

 

「まさか、あの律までも真性封印種だとは思いもしなかったね」

 

美しい真紅の双眸。

金に混じった真紅の髪。

そしてあの底知れない実力。

月夜が作り出した月夜の分身を通してみたが律のあの雰囲気は死んだ華月によく似ている。

華月は飄々としていて深い愛情に満ちた優しい人だった。

愚かなまでに優しく、強く、決して後ろは振り返らない人物。

 

(もしかしたら華月が何らかの形で関わっている…?)

 

月夜は目を瞑る。

脳裏に蘇るのは桜色の艶やかな長い髪と美しい着物を身にまとった華月の後ろ姿。

 

「…月夜様」

 

美しい女性の声が月夜の耳に届く。

月夜は声の方に視線だけ向ける。

 

「美月か」

「はい、白夜様の状態がようやく落ち着きましたので」

 

美月の声が弱々しい。

どうやら宵夜と再会した事で白夜の気が高ぶり猛獣の方が出て来たのだろう。

今まで散々、暴れまわって美月やらに怪我を負わせたか。

月夜は小さく溜め息をつく。

 

「引き続き、白夜の監視を続けて。美月」

 

月夜がそう言うと美月は小さく頷き月夜に向かって頭を下げると長の屋敷に戻って行った。


25.

 

ひらり、ひらり…

 

舞い散る桜の花びらが錐夜の視界に映る。

桜の花びらが地面に落ちて消える。

そして舞う無数の花びら。

 

「!」

 

視界を覆わなければならない程に桜の花びらは増えて舞う。

まるで錐夜と神音を守るように桜の花びらは二人を中心に吹き乱れる。

 

「くっ!鈴(りん)っ…桜を燃やせ!」

 

吹き乱れる桜の花びらに目を覆い隠して黒夜が声を上げた。

先ほど、錐夜の手を踏みつけていたミルクティー色のツインテールの髪と真紅の双眸の少女が手のひらから火を出そうと構えた時。

 

「くく…残念だが錐夜と神音は俺が貰っていくよ」

 

突如、声がして黒夜と鈴の目の前に立ちはだかるように一人の青年が現れた。

黒い服に身を包み桃色の髪を一つに束ねた美しい青年。

夜一族の証とされる真紅の双眸は鋭く。

しかし、どこか錐夜と面影が重なる青年は黒夜と鈴の目の前に現れ小さく笑っている。

 

「何者だ?その瞳は…同族?」

 

突如現れた青年に警戒した黒夜は目を鋭くさせながら青年に問う。

 

「残念だが何者かについては答えられないな。まあ、立派な夜一族だぞ?俺は」

 

パチンと青年が指を鳴らす。

桜の花びらが錐夜と神音を包んで消えた。

青年は桃色の髪を揺らし愉快げに笑みを深めた。

 

「錐夜をどうするつもりだ」

 

黒夜が青年を睨みつけそう言うと黒夜の言葉に目を見開いた青年は暫く、唖然としていたが。

 

「くくく、お前は錐夜を裏切ったのに何故心配するのだ?」

 

喉を鳴らして青年は楽しそうに笑い、嗚呼そうか…と納得した。

黒夜には錐夜への愛情があるのか。

ある意味、安心した青年は。

 

「大丈夫だ、俺は錐夜の意志は尊重する」

 

青年は黒夜に向かって微笑む。

その微笑みに黒夜は何か気づいたのか青年に向かって歩こうとした。

 

「お前は……」

「残念だが、そろそろ時間だ」

「………!まっ…」

 

黒夜が青年に手を伸ばそうとしたが青年の身体は桜の花びらに包まれて消えていた。

 

「また逢おう、黒夜」

 

青年はその言葉を残して黒夜の前から完全に消えた。

あの微笑みに黒夜は見覚えがある。

優しくて強い綺麗な人。

 

けれどその人の名は―‥

 


26.

『貴方は私を愛していなかったのね』

 

『私は貴方の嘘を知っていた』

 

『けれど翡翠を産んだのは少しでも気づいて欲しかったのもある』

 

『私が貴方を愛していた事を』

 

誰かの想いが錐夜の中に入って来る。

懐かしくも優しい誰かの想いが。

錐夜は瞼を持ち上げて目を開いた。

ぼんやりと霞がかかった意識で認識出来たのは静まり返った静寂と黒板。

 

(学校……?でも、どうやって?)

 

覚えているのは黒夜が神音に刀を向けて自分が何かに貫かれた事と舞い散る桜の花びら。

そこまで思い出して錐夜は神音と黒夜が気になり立ち上がろうと上体を起こす。

 

「………っあ!」

 

上体を起こした瞬間、錐夜の身体に走ったのは激痛。

両肩、両足、両腕、腹を刺されたのだ。

錐夜は身体に起こる激痛に耐えながらも上体を起こし立ち上がる。

 

「錐夜っ!」

 

不意に錐夜を呼ぶ親しい者の声が聞こえ錐夜は声の方に振り返る。

 

「静輝……」

 

錐夜は自分の方へ駆けて来る静輝の姿を見て安堵の息をつく。

静輝は錐夜の身体を支え心配そうな表情を浮かべている。

 

「無茶しないで下さい。怪我治ってないのですから」

「静輝、神音は?」

 

神音の事が心配で今は怪我など構ってられない。

錐夜は焦りを感じさせる口調で静輝に問うと静輝は柔らかく微笑む。

 

「無事ですよ。神音は貴方ほど怪我をしてないので今、校舎の中を見て回ってます」

 

静輝のその答えに錐夜はほっと安堵の息を吐く。

神音の無事を知って安心した錐夜の身体から力が抜け錐夜の姿が少女エルトレスの姿へと変わった。

 

「良かった…」

 

エルトレスはそう言って安心したように笑う。

静輝は何も言わずにエルトレスの身体を抱き締めた。


27.

 

「…起きたか?エルトレス」

 

エルトレス(錐夜)が寝かされていた教室に一人の青年が入って来た。

桃色の髪の美青年。

エルトレスは青年の姿形を見て目を開いた。

自分と同じ夜一族の真紅の瞳。

しかし、夢によく見る祖母と彼が重なって見える。

エルトレスは目を擦り自分の指を見た。

血の赤い糸が微かに見える。

これは母親である翡翠曰わく『血縁透視(けつえんとおし)』と言う能力で自分と血の繋がりのある者とそれを繋ぐ血の糸を視る力らしい。

幼い頃は父親と自分を繋ぐ血の糸が見えたが今は母が血の糸を封印して視る事が出来ない。

だけど、この目の前の青年と自分は何の血縁関係が……?

 

「あの、助けてくれたのは貴方ですか?」

 

絶望的だと思っていたあの場で自分は脱出し学校にすらいる。

血縁関係云々は置いておき助けてくれたのが青年ならエルトレスはお礼がしたかった。

 

「…まあな。」

 

そう言って青年はエルトレスの傍へ歩み寄るとエルトレスの頭を優しく撫でた。

 

「助けてくれてありがとうございます。」

 

悪い人じゃない、目の前の青年は優しい人だとエルトレスは感じ嬉しくて笑う。

 

「まだ名前言って無かったな」

 

青年はエルトレスの笑った顔につられて笑った。

 

「俺の名前は桜夜(おうや)。初めまして翡翠の子供」

 

その桃色の髪、美しい真紅の双眸。

目の前の青年は桜夜と名乗り悪戯っぽく笑う。

その雰囲気が夢の中でしか見れなかった祖母とよく似ている、とエルトレスは感じた。


28.

 

「何故、私がお母さんの子だと…」

 

「知っているのですか?」とエルトレスが桜夜を見つめて問う。

自分が翡翠の子だと知る人物は限りなく少ない。

 

「知っているさ、お前の真紅の瞳は翡翠と同じだから」

 

強い意志を秘め、どこまでも真っ直ぐ優しい光を宿した翡翠の瞳はエルトレスとよく似ている。

桜夜はエルトレスの顔を見る。

翡翠によく似ているエルトレスの顔立ち。

 

(やはり、翡翠の子だな)

 

桜夜は一人納得しエルトレスの頭に手を置きエルトレスの金色の髪を撫でた。

 

目を瞑り嬉しそうに大人しく頭を撫でられているエルトレスがとっても可愛いと桜夜は感じたのだ。

 

「かわっ…」

 

思わず発した小さな桜夜の声はバッチリ静輝に聞こえ、静輝が小さく(悪どく)笑ったのを見て桜夜は密かに「しまった」と後悔した。

後々、高確率で律と静輝の二人がかりで馬鹿にされると桜夜は心の内で思う。

何故なら静輝は律の隠密の部下だ。

人の弱みを握って人を馬鹿にしてくるたちの悪さは律譲りの静輝の事。

人の『羞恥心』に揺さぶりかけて来るに決まっている。

 

「そうだ、光夜さんは?」

 

瞑っていた瞼を上げてエルトレスが首を傾げて静輝に聞くと静輝はニッコリ笑う。

 

「神音くんと一緒に校内を見て回ってますよ」

 

静輝の言葉を聞いてエルトレスは「良かった…」と安堵した。

 

「光夜さんと神音と合流したら亀裂を封印しに行きましょう」

 

時は一刻を争う。

早くしなければ多くの人々が被害にあうのだから。

エルトレスの言葉に静輝と桜夜は頷いてくれた。

 

 

「だけど、エルトレスは無理しないで下さいね」

「ほよ?」

「そうだ、可愛いエルトレスが前に出ずとも俺が封印してやる!」

(桜夜さん…開き直りましたね)

 


29.

 

「あの、光夜さんは俺の母さんを知っていますか?」

 

一般の人間は一人もいない結界の中の学校はとても静かだ。

神音と光夜は学校の廊下を歩き校舎の中の不審な気配を探していた。

夜一族に長らく身を置いていた光夜ならもしかしたら自分の母 癒音(ゆのん)の事を知っているのでは、と考えて良い機会なので光夜に聞く。

 

「…癒音の事かい?」

 

夜一族を無断で抜けた癒音は光夜の断罪の対象だった。

光夜は足を止め記憶の中の癒音を思い出す。

 

「…癒音は何時も笑顔だった。一族を抜けるまで翡翠の傍にいたから…私よりも刹の方が知ってると思う。」

 

光夜は何時も翡翠と刹夜を遠くから見ているだけだった。

複雑な立場に立つ光夜は表立って刹夜や翡翠と仲良く出来なかったけれど。

友達になりたいとは思っていた。

そして、常に癒音は翡翠の傍らに…。

 

「光夜さん、話ありがとうございます。」

 

神音はそう言うと光夜に向かって深く頭を下げた。

神音が物心つく頃には『悠木』と人格を分けており普通の人間として暮らし傍には両親も。

だから神音は自分が何歳まで母と一緒にいたのかわからない。

 

「神音くん、君には未来が見えるかい?」

 

光夜が突然、そう聞いてきた。

神音は驚いて光夜を見た。

 

「未来……?」

 

よく解らない。

光夜の言っている意味が神音には解らなかった。

 

「見えないなら良い」

 

光夜は小さく呟くと神音から背を向けて歩き出す。

光夜の記憶では未来を見る事の出来る人間は決して良いとは言えない運命を辿っていた。

癒音のように。

神音が癒音の子なら『力』を受け継いでいる可能性がある。

 

「さて、そろそろ戻ろうか」

 

考えを振り切るように光夜は神音を連れて歩みを進めた。


30.

 

「さて、これからどうするか…」

 

教室にある机の上に座って桜夜は腕を組みエルトレスと静輝を見つめた。

怪我を負ったエルトレスは申し訳ないと頭を下げる。

 

「すみません、私が怪我を負ったばかりに」

 

治りきらない傷がまだ痛みを訴えている。

エルトレスは意識を失う寸前に見た黒夜の表情が気がかりだった。

 

『私は元々、破夜様に仕える従者。封印された主を封印から解き放つ事が私の使命。』

 

黒夜が言った言葉が今も鮮明に覚えている。

だが、強い意志を込めた言葉とは反対に黒夜の表情はとても哀しそうだった。

まるで終わりを望んでいるような。

 

(先生…)

 

エルトレスの感情を読み取ったのか静輝はエルトレスの身体を抱き締める。

 

「……!エルっ…!」

 

何かの気配を察知した桜夜がエルトレスへ向かって手をのばす。

しかし、何かの力が働いて静輝は弾かれエルトレスの傍から吹き飛ばされ教室の窓に叩きつけられた。

 

「かはっ…」

 

掠れた声を上げて静輝は倒れる。

 

「静輝っ……」

 

エルトレスが悲痛な声で静輝を呼ぶが急に身体が引き込まれる。

自分の身体には黒い液体が張り付いておりそれが『何処か』へ引き込もうとしているのだ。

エルトレスは黒い液体を剥がそうと力を込めるが黒い液体はエルトレスの身体を引き込んでいく。

 

「くそっ!エル」

 

引き込まれるエルトレスの身体をさせまいと桜夜がエルトレスの腕を掴んで上へ引っ張る。

バチッ…

黒い液体がエルトレスの腕を通して桜夜に黒い電気を送る。

 

「ぐっ…!」

 

黒い電気が桜夜の身体に痛みを与える。

だが、桜夜はエルトレスの腕を離そうとはしない。

 

『解き放つは光の結界。重たき黒の鎖は消え去り、静寂の時間を』

 


31.

 

『解き放つは光の結界。重たき黒の鎖は消え去り、静寂の時間を』

 

凛とした声が教室に響きエルトレスの身体に張り付いていた黒い液体はパアン!と風船が割れる音のように弾け飛び消え去った。

 

「…う」

 

黒い液体から解放されたエルトレスは地面へ崩れ落ちようとしたが桜夜に抱きとめられる。

静輝もエルトレスの傍に駆け寄り先程の声をした方を見た。

 

「大丈夫ですか?今、傷の手当てをしますので」

 

エルトレスの傍に一人の少女が駆け寄って来た。

先程、黒い液体からエルトレスを術で助けてくれた声だ、と静輝と桜夜は感じた。

美しい紫と緑のオッドアイに黒い髪。

まだあどけなさが残る顔立ちの少女はエルトレスの額に手を当てる。

すると淡い光が少女の手から生まれ光はエルトレスの傷に吸い込まれていく。

 

「…?!死んだ細胞が蘇生した…。貴方は…?」

 

静輝が驚いた表情を浮かべて少女を見ると少女はふわりと優しい微笑みを見せた。

 

「私は金緑石の神子。瑠璃の姉になる神子です」

 

そう言って少女はエルトレスの治療を終えると次は桜夜の怪我を治療し始める。

 

「私は長らく普通の人間として暮らしていました。自分が神子一族の神子とも知らずに…」

 

少女は微笑みを消して哀しそうな表情で話をし始めた。

 

「ある日、目覚めた私はある人に聞かされたのです。神子一族の神子の瑠璃が夜一族の生贄の儀に捧げる為に夜一族に狙われていると…。」

 

少女の言葉にエルトレスが目を見開いた。

生贄の儀、赤い月、神子。

その条件が揃えば古の夜一族が蘇る。

翡翠がエルトレスに残した封印解放の方法。

 

「皆さんでしたら夜一族を止めて頂けると聞いて…私…」

 

少女が訴えるように声を上げた。

夜一族はきっと来てはいけない所まで今、来ている。

エルトレスはぎゅっと目を瞑るが瞼を上げて目を開く。

強い光を宿す真紅の瞳が真っ直ぐ少女のオッドアイと向かい合う。


32.

 

「赤い月が空に昇り、神子の血脈を繋ぐ者を生贄に捧げよ。強き血と清き神子の命を持って封印は解き放たれん」

 

エルトレスの声に金緑石の神子が僅かに反応する。

桜夜と静輝は驚愕の表情を浮かべてエルトレスを見た。

 

「昔、お母さんが教えてくれた。封印された夜一族の『破夜』という人を目覚めさせる方法…」

 

エルトレスの言葉に静輝はエルトレスの頭を撫でつけ桜夜は顔を俯かせる。

 

「そして、清き神子の命は瑠璃の…命」

 

金緑石の神子は哀しげに瞳の光を曇らせた。

決して逢うことは無かった妹である瑠璃を金緑石の神子は助けてやりたいと思う。

夜一族を恐れる神子一族の者は瑠璃を夜一族の煮えに差し出すつもりだ。

 

「お願いです。エルトレス様、どうか協力させて下さい」

 

しかし、金緑石の神子の言葉を遮り金緑石の神子の喉元に桜夜が刀の刃をつきつける。

 

「お前は誰からエルトレスの名前を聞いた?」

 

夜一族やその他から聞いたにせよ、そう簡単に信じる事は出来ない桜夜は金緑石の神子の表情をじっ、と見つめた。

金緑石の神子は柔らかい微笑みを浮かべて桜夜の刀の刃にそっと指で触れ。

 

「貴方の刃は冷たく…けれどとても優しくて哀しいですね。まるで桜の花びらの中で笑っていた桜の君のよう」

 

金緑石の神子が紡ぐ言葉に桜夜は驚愕に目を見開いた。

この少女は桜夜の過去を『知っている』。

そう確信した桜夜は震える手で刀の柄を握り締めた。

 

「私には…恋人がいます。アーシェルという名の。全ては彼から聞きました」

 


33.

 

『もう、見てるだけはやめよ?』

 

どうでも良かった。

世界も一族の事も。

全て捨てられた自分には何もかもがいらない。

 

 

「…?」

 

一瞬、誰かの意識が入って来たとエルトレスは顔を上げて辺りを見回す。

 

「エル?」

 

静輝が心配そうにエルトレスの頭を撫でるがエルトレスは首を傾げた。

 

全てを諦め、けれど哀しげなその意識を感じ取りエルトレスが不安げに顔を俯かせると金緑石の神子がエルトレスの頬を手のひらで撫でた。

 

「大丈夫です。」

 

その優しい手のひらにエルトレスは少し安心すると目を瞑る。

 

「ただいま、静輝さんと桜夜さん。錐夜は起き…」

 

ガラリと音をたてて教室の扉が開かれ教室に足を踏み入れたのは校舎を見回っていた神音と光夜。

二人はエルトレスと静輝、桜夜を見、金緑石を見た途端に警戒心を強くし表情を歪めた。

 

「………!」

 

金緑石の神子は振り返り神音を見て柔らかい微笑みを浮かべる。

 

「悠木ちゃん、やっぱり夜一族だったのね」

 

金緑石の神子の口から衝撃の言葉が紡がれる。

神音のもう一つの姿である悠木を金緑石の神子は知っているのだ。

光夜は「知り合い?」と神音を見て聞くと神音はブンブンと音がなるんじゃないかって程に首を横に振った。

 

「ちょっ…!あんまり仲良く無かったとはいえクラスメートの顔忘れるなんて酷いよー」

 

金緑石の神子は頬をフグのように膨らませ抗議するが神音は首を傾げるばかりだ。

しかも、神音は夜一族に戻る為に自分の事を知っている人間から自分の記憶を消した筈なのに。

 

「何で…俺は消した筈なのに。俺を知る人間から俺の存在を」

 

神音が金緑石の神子を見つめた。

ニコッと金緑石の神子は微笑む。

 

「私にはあのぐらいの術は効かないよ。人間じゃないし」

 

そう言って金緑石の神子は神音に自分の生徒手帳を渡して見せた。

生徒手帳には『氷川 獅奈希』と書かれており神音は金緑石の神子もとい獅奈希を指差した。

 

「あぁ―――――――――――――!!」

 


34.

 

「思い出してくれた?」

 

獅奈希は首を傾げた。

 

「ひ…氷川さん」

 

神音は少し青ざめた顔色で獅奈希の名字を呼ぶ。

光夜が額に手を当ててあきれ気味に「知り合いか」と呟いた。

桜夜はジトッとした呆れを含んだ細目で神音を見つめる。

光夜と桜夜の視線に神音は「うぅ…」と情けない声を上げた。

 

「同じクラスの人?」

 

きょとんと不思議そうな表情でエルトレスが神音に聞けば神音は小さく頷く。

 

「喋った事は無いけど、同じクラスの人」

 

神音は獅奈希を見つめた。

もしかしたら悠木が神音に目覚める前から獅奈希は知っていたのだろうか?

神音の視線に気がついた獅奈希は神音と真っ直ぐ向き合う。

 

「最初は驚いたよ。まさか悠木ちゃんが夜一族の血を受け継いでいたなんて」

 

獅奈希は目を細める。

獅奈希の瞳の奥底の感情は読めなかったが神音は真剣な表情を浮かべた。

 

「氷川さん、貴方は本当に俺達の味方ですか?」

 

神音は唇を噛み締めて言葉を口にする。

獅奈希は知っている。

神音は眉間に皺を寄せて表情を歪め獅奈希の前に立つ。

 

「私は妹を助けたい。だから今は」

 

獅奈希は真っ直ぐ、神音を見つめ。

 

「貴方達と一緒に戦うわ」

 

『どうしても、行くのか』

『…行かなきゃ。瑠璃が泣いてるもの』

『なら、好きにすればいい』

 

じゃあ、好きにする。と言い放って獅奈希は彼から離れた。

妹神子が泣いている。

同級生が戦っている。

だから、何もしないで傍観者でいたくは無かった。

 

(…過ぎた過去は戻らない。私は後悔したくないの)

 

だから獅奈希は戦う事を決めた。


35.

 

「獅奈希さんを信じよう、神音。」

 

そう言ったのはエルトレス。

エルトレスは誰の言葉も待たずに立ち上がると教室の扉へと歩いた。

 

「エルトレス…」

 

静輝は心配そうにエルトレスの傍に歩み寄る。

月夜側についた黒夜、未だに行方が掴めない母親。

実の父親は過去に捕らわれ続けている。

支えよう、と静輝は強く決意し宿命に翻弄されるエルトレスの頭を撫でた。

 

「獅奈希が例え月夜側だったとしても取るに足らん。道は切り開く。」

 

桜夜が目を細める。

冷たく冷酷な光を宿した瞳。

 

「…。神音、獅奈希!亀裂を捜しに行くよ」

 

桜夜を見て何事か感じた光夜だが神音と獅奈希を呼びエルトレス達の後を追う。

声をかけられた神音と獅奈希も急いでエルトレス達の後を追った。

 

―‥間。

 

「亀裂の気配が掴めない」

 

苦々しい表情を浮かべて桜夜が呟いた。

『有る』という気配は掴めるが場所が掴めない。

薄らぐ気配は存在だけを示している。

エルトレスも辺りを忙しなく見渡す。

 

「誰かが隠しているね」

 

光夜はやれやれと溜め息を吐いた。

手を振り鎌を出現させた光夜は鎌の柄を握り締めて柄の先でコツンと地面を叩く。

 

「光夜さん?」

 

エルトレスと神音が光夜を見つめると二人の視線に気がついた光夜はニッコリ笑う。

 

「亀裂を封印するには真性封印種の方が良いしね。こういう探索なら俺の方が術力使わずに済むから」

 

光夜の鎌の柄の先叩いた地面に陣が青白く発光して現れる。

光夜は鎌の柄を握り締めて目を瞑って集中する。

光夜の力が校舎を駆け回り廊下を渡って階段を降りていく開かれた扉の先には理事長室。

理事長室の机の下の隠された階段を降りて光夜の力は地下へと。

そして、地下に鎖で繋がれた人物がいるのを見る。

 

「!!!」

 

光夜の探索の術の断片を脳裏に見た神音が目を見開いた。

地下に鎖で繋がれていたのは…。

 

「珠皇(すおう)……」

 

神音の唖然とした呟きが静寂の廊下に響いた。


36.

 

「珠皇!!」

 

神音の悲痛な叫びが校舎の廊下に響き渡る。

 

「?!神音、どうしました?」

 

静輝が突然、声を上げた神音の身体を抱き締めるように支えた。

エルトレスや桜夜、獅奈希も驚いて神音の傍に駆け寄る。

 

「…学校の…地下…室…鎖に繋がれ…た…珠皇…が…」

 

震え、掠れた小さな消え入りそうな声で神音は真っ青な顔色で呟く。

神音にとって珠皇はとても大切な人。

何ものにも替えられない。

 

「行かなきゃ…珠皇!」

「落ち着いて下さい!神音」

 

今にも飛び出しそうな神音の両腕を掴んだ静輝が神音を宥める。

神音は泣きそうな表情を浮かべた。

 

「神音、罠かも知れません」

 

落ち着き冷静に静輝は神音を諭す。

神音は目を見開き驚いた表情を浮かべたがすぐに真剣な表情をした。

エルトレス達をおびき寄せる為に幻を使っているのかも知れないと静輝は考えているのだ。

 

「例え、罠だろうとも珠皇が鎖に繋がれている姿を見たら黙っていられない」

 

強い意志を秘めた神音の瞳が真っ直ぐ、静輝を見つめる。

静輝は答えに困り沈黙した時。

 

「神音」

 

エルトレスが神音の名を呼ぶ。

 

「珠皇さんを助けに行って」

 

神音の前に立ちエルトレスは穏やかに笑った。

静輝と光夜が驚いてエルトレスを見る。

罠かも知れない、と言ったばかりなのに。何故……。

 

「月夜は私達を罠に嵌めるつもりでも幻なんて手緩い事するのかな。」

 

神夜以外の命に興味が無いあの月夜が幻を使うなんて手緩い事する筈が無い。

地下室に捕らわれているのは本物だろう。


37.

 

「きっと、地下に捕まっているのは本物の珠皇さんだと私は思うの」

 

月夜はきっと珠皇を亀裂の生け贄にしたのだろう。魔神を産み出す亀裂を守る結界の生け贄にし、結界を破壊しに来たエルトレス達がそれに気づこうとも気づかなくても月夜はエルトレス達を殺すつもりだ。

エルトレスは思考を巡らす。

月夜の思惑に気づかなくては珠皇を救えない。

 

「だけど、きっと罠も有る。」

 

エルトレスの言葉に神音は表情を曇らせた。

珠皇を一刻も早く助け出したい。

だが、皆を危険な目に会わせる訳にもいかないのだ。

 

「…月夜が何を仕掛けた、か」

 

光夜は足下を見て呟く。

一度、力を飛ばして視た時は何も感じなかった。だが、二度目なら見えるかも知れない。

光夜は再び鎌のい柄を握り、柄の先で地面を叩き陣を呼び出す。光夜は精神を集中させる為に目を瞑り再び力『目』にし学校の校舎へと飛ばす。

獅奈希は心配そうな表情を浮かべて光夜を見守った。

癒しや蘇生(死者を甦らす事は出来ない)の術は使えるが、攻撃や偵察等の術を使う事は獅奈希には出来ない。

 

「私にもっと力があれば…」

 

小声で獅奈希は呟いた。『彼』のように力があれば皆の助けになれたのだろう。

だけど、現実は甘くない。

獅奈希は無力感を抱きながらも光夜の様子を見守った。

光夜が力を飛ばして校舎を探る中、突然地響きがした。

ドンッと地鳴りがした後、校舎が揺れ始める。エルトレス達は驚き足元を見た時…。

 

「しまっ…」

 

気がついた時には既に遅かった。

それぞれの足に足元から生えた鎖が巻きつき身動きが取れない状態だ。光夜は表情を歪めて何とか動こうともがく。

 

「く…」

 

チャリ…と鎖同士が擦れ合う音が響く。

やがて、鎖は拘束する対象を引き込もうとしているのか徐々に廊下の床へと沈んでいく。

 

「エルトレスっ…!」

 

桜夜は声を上げてエルトレスの方へと手を伸ばした。エルトレスの身体は鎖に引き込まれぐにゃりと泥のように柔らかくなった床へと沈んでいく。

 

「みんなっ……」

 

エルトレスが皆を見れば、皆の身体は鎖に引き込まれ柔らかくなった床に沈んでいく。引き離される、とエルトレスは予感した。

 

(まさか、私達をバラバラにする為に?)

 

エルトレスは何とか鎖から逃れられないのかと己の力を鎖に流そうと目を瞑るが鎖は先ほどよりも強くエルトレスの身体を締めつけた。

 

「…………っ!」

 

締めつけられる窮屈さにエルトレスは顔をしかめる。

ズズッ…と柔らかくなった床はエルトレス達の身体を呑み込み学校の校舎は不気味な静寂に包まれた。


38.

 

お母さんはどんな想いで私を産んだのだろう。奥さんと子供がいるお父さんと決して良いとは言えない関係だったお母さん。

だけど、お母さんはお父さんの事を『愛していた』からお父さんの子供である私を身ごもった時、私を産んだのだろう。

……私はお父さんが『知らない』、お父さんの子供。お父さんと奥さんの子供に嫉妬なんてしてしまう。

でも、お母さんが守りたい秘密は守り通すから。今もこれからもお父さんは『他人』だよ。

 

 

「…………レス」

「………トレス」

「エルトレスっ」

 

優しくて懐かしい声が閉ざしていたエルトレスの意識を起こす。

閉じていた瞼をゆっくり上げてぼやける視界に誰かがエルトレスの顔を覗き込んでいた。まだ、意識が覚醒してないのかぼやける視界が少しずつゆっくり鮮明になっていく。

 

「エルトレスさん、動かないで下さい」

 

獅奈希の優しい声がする。力が出ない身体、浮いてる感覚。エルトレスは今、誰かに抱きかかえられていた。

 

(先生……)

 

解っている、あの人はあの人の進まなければならない道に進んだ事。破夜の配下である黒夜は自分の信じた道を選んだのだ。

 

「大丈夫か?エルトレス」

 

エルトレスの視界に桜色の髪が映る。エルトレスを抱きかかえているのは桜夜だ。

 

「はい」

 

エルトレスは小さく笑って応える。自分には仲間がいるのだ。一緒に戦ってくれる仲間が。

だから、月夜と戦える。

 

「エルトレスさん、肩を怪我してるんですから。大丈夫なんて言わなくても良いんですよ」

 

獅奈希が負傷しているエルトレスの肩の傷に手の平をあて治癒の術を使いニコリと笑う。

 

「獅奈希さんが手当てしてくれてるから大丈夫です」

「エルトレスさん…」

 

獅奈希とエルトレスはお互いの顔を見合わせてニコリと笑った。

 

「桜夜さん、ここは何処ですか?」

 

エルトレスは鮮明に映る視界で辺りを見回す。とても学校の校舎とは言えない場所だ。

壁のコンクリートにはあちこちヒビが入っておりヒビから赤黒い液体が垂れている。全体的に広いが扉は無い。地面を見れば床のコンクリートもヒビが入っており、赤黒い液体が染み出している。

 

「解らない。気がついたら俺と獅奈希、エルトレスが倒れていて神音や静輝と光夜の気配はこの場所からは感じ取れない」

 

桜夜の言葉にエルトレスは不安げに表情を沈ませた。

 

ウオオオォォォッ!!

 

「「「!!!」」」

 


39.

 

「何だ今のは」

 

何かの叫びが突如、部屋中に響き渡り桜夜はエルトレスと獅奈希を庇うように立ち腰に下げていた刀を鞘から抜き身構えた。

 

ウオオオォォォッ!!

 

ビリビリと部屋中を震わせる程に響く叫び声に桜夜は顔を歪ませる。

 

「…………!」

 

壁のヒビから垂れていた赤黒い液体がエルトレス達の前に集まり水溜まりが現れた。その水溜まりはブクブクと泡を出し泡が止んだ瞬間、水溜まりから手が出て来た。

人間の手では無い赤黒い巨大な手が地面の床につき腕や頭が出て来る。エルトレスは喉を鳴らし現れる『敵』と思わしき者の出現を見ていた。

 

「…!く、デカい力と図体だな」

 

桜夜が刀を構える。

水溜まりから現れたのは赤黒い巨大な生物。目や鼻、耳は無く三日月型に笑った口、赤黒い身体は身長三メートルありそうだ。

赤黒い生物は桜夜と獅奈希、エルトレスをじっと見つめ、敵と認識したのか赤黒く長い腕をかざし黒い衝撃波を飛ばして来た。

 

「散るぞ!」

 

桜夜の声を合図に獅奈希とエルトレスは跳び、衝撃波から逃れる。

ドガッと鈍い音がし壁や床の一部が黒い衝撃波で破壊されるがグニャリと歪み破壊された場所が修復される。

桜夜と獅奈希はそれを見て目を見開く。

 

「破壊された物が修復されるって事はここはまだ、結界の中か。」

 

夜一族の誰かが創りだした結界は現実の物をそのまま写した別世界だ。建造物や物を破壊しても現実には影響は無く影響があるのは結界の中に入った者や存在する者の命だ。結界の中で死ねば、そこでお陀仏。

 

「出口や入り口が無い所を見ると結界の中に更に独立した異空間を創りだしたって所ですね。凄い術者がいたものです」

 

跳躍し地面に降り立った獅奈希が伸びて来た赤黒い腕を蹴り上げて赤黒い生物の腹に拳を叩き入れた。

 

「………お父さん」

 

ぽつりと誰にも聞こえない程に小さな声でエルトレスは呟く。エルトレスの一瞬の隙を敵は逃さず赤黒い生物は腕を振り払い黒い衝撃波を数発、エルトレスに向けて放った。

 

「エルトレスっ!!」

 

桜夜は急ぎエルトレスの元へと駆け出す。しかし、それよりも早くエルトレスの目が見開かれ強い眼差しが赤黒い生物を射抜く。ニヤリと口の端を吊り上げて笑うエルトレスの姿が変化した。

 

「上等だな、ジジィ。一発殴って母上に引き渡してやる!」

 

黒い衝撃波を刀で弾き飛ばし不敵に笑ったのはエルトレスから姿を変えた錐夜だ。

錐夜は刀の柄を握り金色の長い髪を揺らして赤黒い生物を睨みつけた。


40.

赤黒い生物の巨大な腕が桜夜、獅奈希に向かって振りかざされる。

桜夜は後方に跳躍し刀で振りかざされた赤黒い腕を防ぐ。

獅奈希は下に伏せて赤黒い腕を避ける。

 

「…この生物は一体、何者なの?!」

 

勢いよく地面を蹴り、赤黒い腕に空中で回し蹴りを食らわした獅奈希は宙で後転し赤黒い生物から離れた場所に着地する。

 

「昔、似たような奴を相手にした事がある」

 

桜夜が刀を身構えたまま、呟く。

 

「数多くの魔神が一点に集まり合体した様な奴だったな…」

 

桜夜が何気なく口にしたのを聞いて錐夜が舌打ちを鳴らす。

 

「…面倒だな。」

 

赤黒い腕が薙払うように獅奈希へと振られ錐夜が地面を蹴り跳躍し獅奈希を抱いて跳ぶ。地面に着地した錐夜は獅奈希を背後にやり刀を身構える。

 

「錐夜さん、ありがとう」

 

獅奈希は小さくお礼し錐夜を見つめた。『彼』と同じ真性封印種。

金の長い髪に真紅の瞳。

 

「獅奈希、下がっていろ」

 

刀を構えた錐夜は地面を蹴り跳ぶ。刀を勢いよく振り下ろし赤黒い腕を斬り落とす。斬り落とされた腕が地面に転がり腕から数体の魔神が飛び出した。

桜夜はその魔神を残らず斬り、魔神は消滅していく。

 

「ヤツを倒すにはバラして個体になった魔神を倒すか強力な浄化の術を使うしかない」

 

桜夜は赤黒い生物を見上げる。

亀裂から産まれた魔神が集まり一つになったその生物は斬り落とされた片腕など気にせずに錐夜達に向かって残った腕を伸ばし、身体全体から細く鋭い針を発生させた。

まるで雨のように降ってくる鋭い針に錐夜達は目を見開く。

 

「俺達を串刺しにする気か」

 

桜夜が呟き、錐夜は舌打ちをする。獅奈希は錐夜の背後でぎゅっと目を瞑った。

いくら刀でもあの雨のように降ってくる無数の鋭い針を全て防ぐ事は不可能に近い。

錐夜と獅奈希を守るように前に立った桜夜は額に汗を滲ませる。

 

「我が令に従い急ぎこれを成就せよ。森羅万象、我が意に従え」

 


41.

 

「我が令に従い急ぎこれを成就せよ。森羅万象、我が意に従え」

 

金色の長い髪が踊るように揺れる。透き通るような低く、けれど美しい声が辺りに響くと鈴が鳴る音によく似た音がして金色の光が錐夜達を包み込む。

雨のように降る赤黒い生物が発した鋭い針は錐夜達に届く前に光に阻まれ粉々に砕け散った。

 

「………あ」

 

錐夜の背後にいる獅奈希が声を出した。

 

「だから、言っただろう。お前には危険過ぎると」

 

錐夜達に背を向けたまま『彼』は言った。そして、ゆっくり錐夜達の方に振り返る。

金色の長い髪を後頭部で一つに束ね、その双眸は真紅に煌めいており容姿は絶世の美男子だ。厚すぎず薄過ぎない桃色の唇に金の睫毛、人を魅了してやまない容姿の美男子は真っ直ぐに獅奈希を見つめる。

獅奈希は目の前の美男子と知り合いらしく錐夜の背中に身を隠した。

 

「獅奈希の知り合いか?」

 

桜夜がこっそり獅奈希に聞くと獅奈希はコクコクと首を縦に振って頷く。

 

「私の………」

「恋人だ」

 

獅奈希が答えるよりも早く美男子が答えた。桜夜と獅奈希が驚いてる中、錐夜は美男子の顔をじっ、と凝視する。

 

「…お前、真性封印種か?」

 

錐夜が首を傾げて問うと桜夜と獅奈希が驚き、美男子はニヤリと口の端を上げて笑う。

 

「真性封印種?!」

「錐夜さん、分かるのですか?」

「…へえ、俺が分かるのか」

 

桜夜は驚き、美男子を見つめ。獅奈希は驚いた表情を浮かべて錐夜を見た。美男子は特に取り乱す様子もなく笑う。

 

「背中の刻印が熱い」

 

表情を崩す事なく錐夜はそう言うと刀を身構える。まだ、奴がいる以上気楽にお喋りはしていられない。

まずは奴を倒し神音達と合流しなければ…。

 

(…刻印…。核の証が核と手足の真性封印種を引き合わせてるのか)

 

真紅の瞳を細め冷たく底冷えするような視線を桜夜は赤黒い生物へ向けた。

昔、『あの男』は翡翠を恐れた。いつか、自分を滅ぼすであろう『運命の子』を産み落とす翡翠を。

しかし、『あの男』の思うままにはいかなかった。翡翠は母親の命と引き換えに生き長らえ『運命の子』を産んだ。

『癒音』が視た未来の通りに。

 

「さて、早く仕留めて帰るぞ。獅奈希」

「はい?!私、帰りませんよ?!」

 

美男子と獅奈希も身構える。

桜夜と錐夜は刀の柄を握り締めて地面を蹴り、跳び上がると赤黒い巨大な生物に斬り込んだ。


42.

side 神音

 

金属が擦れ合う音が静かに響く。暗い奥底に眠っていた意識が起こされて神音はゆっくり瞼を持ち上げた。

覚醒しきれていない脳が視界に映る目の前の光景を認識するのに幾らかかかる。

暗くて冷たい部屋は静寂に包まれており、神音はゆっくり身体を起こして起き上がる。

 

「珠皇………っ!」

 

神音の目の前に鎖に繋がれている珠皇。駆け寄ればすぐに傍まで行ける距離にいる神音が黙っているわけもなく、神音はフラつく身体に鞭を打ち立ち上がる。

珠皇の傍まで駆け寄ろうと珠皇の傍へ駆け寄った時。

 

「捕まえた」

 

クスリと小さく笑う声が聞こえ、バキン!と大きな音をたててコンクリートで固められた神音の足下の床が割れる。

 

「!!」

 

足下の割れた床から黒い触手が無数に現れて、神音の身体に巻きつき締め上げるように神音の身体を持ち上げた。

ギリギリと黒い触手が神音の首を締めつける。

 

「く…!」

 

すぐ傍に珠皇がいる。手を伸ばせば届く距離に…。窒息死させようと締めつけてくる黒い触手が邪魔だ。

神音は首を締め上げてくる黒い触手に構わず珠皇の顔に手を伸ばす。

小さな頃から不思議な『モノ』が視える自分(悠木)に式神をくれたり優しくしてくれた自分の世界の中心の人。

 

「何時も…守られ…てばかり…だった…けど…」

 

今度は守るから…。神音は声に出来なかった言葉の代わりに珠皇へと手を伸ばす。珠皇は意識を失っている為、ピクリとも動かない。

 

「…悠木…」

 

消えそうな小さな声が呼んだ。神音は目を見開く、珠皇の前から消えて戦う事を決意したその日に神音は珠皇から悠木(自分)に関する記憶を消したのだ。

だが、今確かに珠皇は悠木を呼んだ。

 

「珠皇っ!」

 

涙で視界がぼやけて目尻から熱い涙が頬を伝って落ちる。神音は流した涙にも自分を今も強い力で締めつける黒い触手にも構わず珠皇へ手を伸ばす。

 

「そんなにその野良狐が大切?」

 

神音を締めつけている他にも無数の黒い触手が現れ、触手は長剣の刃へと形を変えて珠皇へ刃を向けた。

 

「……!」

 

神音は目を見張る。錐夜を襲った黒いモノによく似た感じがした。

黒い触手からは明らかな殺意が感じ取れる。

 

(珠皇!)

 

神音は瞳を閉じ、そして再び開くと歯を食いしばり手に力を込めた。


43.

side 神音

 

無数の黒い触手達は剣の刃に形を変えて珠皇へと刃を向ける。

 

「さあ、絶望の味を覚えると良いわ!」

 

黒い刃が風を切り真っ直ぐに珠皇を刺し貫こうと向かう。

 

『癒音(ゆのん)、その腹にいるのは誰の子供?』

『答える義務はないわ』

『そう、答える気がないのか。じゃあ…死んだって文句は無いね』

『私は死なないわ。私の遺志は私の子と一つになり、翡翠の子と共にあの者を打ち倒す!』

『………!その先見は外れる!』

 

神音。私の愛しい子。

貴方は本当はあの時に私と―‥

 

地面に鮮血の雫が落ち一時、静寂がその場を支配した。皮膚を伝う暖かい『何か』が深い奥底に縛り付けられていた珠皇の意識を解放する。

 

「…………悠木?」

 

愛しい少女の声と気配に呼ばれた気がして珠皇は彼女の名前をゆっくり呟く。

しかし、視界に映ったのは愛しい少女では無かった。美しい白銀の髪、血で濡れた衣服…黒い剣の刃に刺し貫かれた身体が珠皇の視界に映る。

 

「……珠皇……」

 

珠皇に背を向け両手を広げて珠皇を庇うように黒い剣の刃に刺された神音は珠皇の名を苦しげに呟いた。

手の平、腕、腹、肩を貫かれた神音は多量の出血に眩暈(めまい)を感じながらも踏みとどまり何とか倒れまいと意識を保つ。

 

「……誰…だ…」

 

珠皇の問いに神音は微かに笑った。

答えられない。人外の一族を嫌う珠皇に悠木が夜一族だとは言えない。

 

 

「アハハハ!馬鹿な男ね!野良狐を助ける為に自分が盾になるなんて!」

 

黒い触手達が集まり姿を表した一人の少女は高らかに笑う。

ミルクティー色のツインテールにした髪に真紅の双眸。真紅の瞳は『夜一族』の証。

珠皇は目を見開く僅かに見える神音の横顔から真紅の瞳が…。目の前の少女も真紅の瞳を持っている。

 

「同じ一族なのか?」

 

小さな声で珠皇が言う。

少女は笑い、一歩、一歩と神音と珠皇へと近づく。それに気がついた神音は空いてる腕を動かし黒い触手が形を変えた剣の刃を全て抜き去り、出血しているにも構わず珠皇を庇うように立つ。

 

「ふふ、二人共仲良く切り刻んであげるわ!」

 

少女が手を上げると黒い触手達は再びに形を変えて剣の刃になる。

黒い剣の刃は少女の命を待つように制止し少女は口の端をつり上げて少女らしかぬ妖艶な笑みを浮かべて。

 

「絶望なさい!死の淵で!!」

 

少女が手をおろし、無数の黒い剣の刃は神音と珠皇に向かって飛んだ。


44.

side ???

 

私には幼い時から白昼夢の様に『未来』が視えた。これから起きる事が突然、頭の中で視えてしまう。

私の姉は人の『過去』を断片的に視る事が出来るらしい。…そっちの方が良かったな、なんて思ったのは秘密。

未来が視える『先見』の能力を持つ者は長命な夜一族においても長生き出来ない運命だとお母さんから聞いた事があるわ。過ぎ去った過去は二度と戻る事が出来ないけれどこれから来る未来を視る力がある人を人々は恐れたり利用しようとするらしいから。

 

『癒音(ゆのん)、お前のその腹に宿る子は誰だ?』

 

ある日、姉様が私に言って来た言葉に私は俯いた。姉様の腹に宿る神夜様の子と同じような時に宿った私のお腹の子。

 

『内緒よ、翡翠(ひすい)姉様』

 

私は姉様にそう言ってお腹を撫でた。このお腹に宿る子は【私の子供では無い】けれど私の愛しい子供。

本来、生まれる事がないこの子に私は私の全てを託したい。

 

『私の子供を産んで欲しいの、癒音』

 

今はもう届かない場所へと行ってしまったあの人の声が聞こえた気がして。瞳から涙が溢れて零れ落ちた。

 

『…癒音…』

 

姉様が私の身体を抱き締めて背中を撫でてくれる。父様は母様を殺して私や姉様の運命は狂った。

母様は最初からこうなる事に気がついていて産まれたばかりの私を知り合いの家に預け大人になるまで姉様の存在を知らなかった。

 

『私、生きたいの。未来なんて視えなくて良いから…!お腹の中の子とあの人と生きたい!!』

 

逢いたい、愛してる、傍にいたい。けれど、私は私の運命を知っているから泣くのも弱くなるのもきっと、これが最後。

私の愛しい神音。貴方のこれからの未来を私は視る事が出来ないけれど。

人の未来は決して一つとは限らない。けれど運命は一つしかない。

愛しい神音。貴方の未来が幸せな未来であるように、私は祈っています。

 

17年前、癒音は死んだ。腹に子を宿したまま。

子の未来を案じ、一族の未来を案じて…。


45.

side 神音

 

無数の刃は神音と珠皇に届く前に粒となって消え去った。神音は目を見開き目の前で自分と珠皇を庇うように立つ人物の背中を見つめる。

 

「守護壁・絶対領域」

 

低い重低音の声。神音と珠皇を庇うように立つ人物は腕を上げて手のひらから光が現れ、それが薄い壁となり神音と珠皇、そして二人を助けた人物を覆う。

 

「この結界は長くは保てません。光夜さん、静輝さんお願いします」

 

神音と珠皇を庇うように立つ青年がそう告げた後、瞬時に鎌を手にした光夜が背後から現れる。

光夜は軽々と鎌を振り上げ少女に向かって薙払う。少女は寸前で後ろに下がって光夜の攻撃を避けた。

 

「深き闇に集いし者に告ぐ。天上浄化の鐘の音を聞き、光と成れ」

 

少女の足下に青白く発光した陣が浮かび上がる。

 

「光よ闇を照らして!」

 

少女の足下の陣が眩いばかりに光り輝き少女を包み込む。少女は幼さが残る表情を歪めて舌打ちをすると黒い影で陣から発せられる光を弾いた。

 

「光・浄・戒・列・陣・令・契!森羅万象の理に従い、成就求む!」

 

指先で陣を描き静輝は影に弾かれた術に更に術をかけて少女を追撃する。少女が操る影に弾かれた光は影をかいくぐり少女へと向かい爆音をたてて爆発した。

 

「やれやれ、誰かと思えば月夜直属部隊の鈴じゃないか」

 

鎌の柄を持ち光夜は静輝の術で爆発に巻き込まれ吹き飛ばされた少女の目の前に立ちニッコリと笑う。そして躊躇せずに鎌を少女を切り裂く為に振り下ろす。

 

「光夜さん!」

 

何も斬る事は無いだろうと静輝が慌てて光夜を止めようと声をかけるが光夜の振り下ろされた鎌を誰かが受け止めた。

 

「遅かったね、黒夜」

 

綺麗な輝きを宿した見事な白銀の髪が揺れる。光夜は急に現れて自分の鎌の刃を手で掴んで止めている黒夜に向かって微笑んだ。黒髪の黒夜の髪は今や見事な白銀の髪になっている。

 

「…………」

 

黒夜は鎌から手を放し、光夜を突き飛ばした。光夜はすぐに態勢をたて立ち上がり、黒夜と対峙する。


46.

side 神音

 

「……黒…夜…さん?」

 

少女の攻撃から珠皇を守った神音は立ち上がる気力を失い珠皇に抱えられて対峙する黒夜と光夜を見て小さく呟く。金色の瞳に白銀の髪へ変化した黒夜の姿に神音は唇を噛み締める。

 

「一体、何が起きているんだ…」

 

何も知らず、結界を張らされていた珠皇は同じ一族の者達が争っている光景に状況が把握仕切れない。

 

「随分、怪我しましたね。神音」

「…はは、修行不足です」

 

珠皇に抱えられている神音の傷を癒やしながら静輝は優しく笑うと先ほどから守護の結界を張り続けている青年を見た。

 

「しかし、塚本さんが神子一族の者だったとは思いもしませんでしたよ」

「すみません。しかし、錐夜さんにバレたら睨まれそうですね」

 

灰色のスーツ姿の塚本が人の良さそうな微笑みを浮かべて守護の結界の威力を増させる。この塚本という人物は最初からリースラートが神戒種だと知っていて自分の部下にしたのだろう。そう考えるとかなり狸だと静輝は塚本を見る。

 

「珠皇、巻き込んで…すまない」

 

神音は静輝と塚本のやり取りを見、かすれた小さな声で呟く。珠皇は神音の呟きを聞き逃さずに神音を抱く力を強めた。

 

「…何故、謝る?捕らわれた俺を…そんな傷を負っても救ってくれた」

 

何故だろう。愛しい少女の声が珠皇には聞こえる。『珠皇』『私は―‥』と何度も珠皇を呼び彼女は微笑む。

彼女は風のように消えてしまったのに。

 

『珠皇、傍にいるよ』

 

此処にいて、一人にしないで…そう願ったのは彼女では無い。頼りにされて嬉しくて彼女の傍にいたかったのは珠皇自身。

だから、寂しい。彼女が消えてしまったのも彼女が自分を必要としなくなったのも。

 

「…珠皇だけは巻き込みたくなかった」

『珠皇だけは巻き込みたくなかったの』

 

神音の声が彼女の声と重なる。珠皇は神音の身体を抱き締めて神音の額に唇を寄せた。

 

「俺は哀しかった。悠木が俺を必要としなくなった事が…」

 

珠皇の想いがつまった言葉を聞き神音は珠皇を見つめ驚き目を見開いたが瞳は徐々に潤み頬に熱い雫が流れ。

 

「珠皇に…嫌われるっ、て…思った。人間じゃない、から…!」

 

神音は声を上げ、珠皇に抱きつく。珠皇は神音をきつく抱き締めて泣きじゃくる神音の頭を黙って撫でる。

やっと逢えた愛しい存在が此処に。

珠皇は離さないように神音を抱き締めた。


47.

side 神音

 

けたたましい金属がぶつかり合う音がしたすぐ後に壁に光夜の鎌が突き刺さり、光夜自身は壁に叩きつけられる。

叩きつけられた壁には亀裂が入り壁の小さな破片がパラパラと床に落ち、光夜はずるりと床に倒れた。

 

「光夜さんっ!」

 

静輝が悲鳴じみた声を上げ、光夜を癒やすべく光夜の傍へと駆け出す。それと同時に神音が刀の柄を手に握り締めて塚本と珠皇を守るべく前に出た。

 

(力の差は大きい。だけど、負けるわけにはいかない!)

 

神音は刀の柄を握り締め、構えをとる。黒夜も神音の決意を察したのか構えをとった。

 

「悠木!」

 

珠皇が神音を呼ぶ。珠皇にも黒夜と神音の差が感じとれるのだろう。

だが、神音は負けるつもりは無い。

 

「大切な人達を守る為に勝負です!黒夜さん!!」

 

神音の声を合図に神音と黒夜は駆け出す。

すぐに互いの刀が激しくぶつかり合い、凄まじい攻防戦になる。神音は必死で黒夜の刀の動きを読み、黒夜の攻撃を防ぐ。

神音と黒夜の力量の差では神音には防戦一方が精一杯だ。

 

「黒夜様がアイツを相手にしている間、私はあの野良狐と結界師を殺っちゃおうかな?」

 

鈴が鳴る音のように鈴(りん)はクスクスと笑う。身軽な鈴はフワリと塚本と珠皇の前に降り立ち、自身の影から黒い触手をのばす。

塚本の結界が黒い触手を弾くが黒い触手は消えず、塚本の結界を叩く。

 

「どこまで保つかしら?」

 

少女の容姿には似合わない残酷な笑みを浮かべて鈴は黒い触手を操り、塚本の結界を壊そうと触手をのばす。

 

「しまった…!」

 

黒夜と激しい攻防戦をしていた神音が珠皇と塚本の方を見て声を上げるがその隙を黒夜は見逃さず。

 

「ぐぁっ!」

 

神音は肩を黒夜に斬りつけられ、床へと蹴り飛ばされる。

床に叩きつけられた神音は肩の傷口を手でおさえ、直ぐに起き上がり塚本と珠皇を救うべく立ち上がる。

 

「くっ…」

 

塚本が苦しげに表情を歪めて結界の力を強める。光夜を結界の中へと運んで来た静輝は怪我を負った神音を見て、神音を救うべく動こうと立ち上がり。

しかし、結界の力が徐々に弱くなっていく。

 

「所詮、その程度の力だ」

 

黒夜が刀を構える。黒夜の刀に力が集まり始め、黒夜が刀を振り下ろす。

凄まじい光の波が黒夜の刀から発生され、神音達を飲み込もうと襲いかかる。

 

「珠皇っ!」

 

神音が珠皇達のもとへと駆け出す。

光の波は神音を飲み込み、爆音をたてて爆発した。


48.

 

「で、アーシェル」

「何だ」

「頼みがある」

「………30文字以内に言え。聞くだけ聞いてやる」

「あの魔神を倒せ。以上」

「お前はどこに行くんだよ」

 

よく見れば容姿がそっくりな金髪の錐夜とアーシェルは終始、睨み合いをしていたが錐夜が愛刀を手にスタスタと早歩きで戦線を離脱した為にアーシェルは若干、頭に来ているようだ。

 

「仲悪いですね、錐夜さんとアーシェル」

「…似た者同士合わないのだろ」

 

赤黒い巨大な生物の攻撃を避けながら獅奈希の問いに答え、桜夜は錐夜の背中を見つめた。

 

「錐夜、何かあったのか?」

 

桜夜が錐夜に問えば錐夜の身体が僅かに揺れる。だが、錐夜は歩むの止めずに桜夜達に背中を向けたまま。

 

「あの人の気配がする。」

 

そう言って錐夜は姿をエルトレスの姿に変えて結界を両手でこじ開けて出来た隙間から入って行った。

 

「黒夜絡みだな」

 

桜夜は錐夜の後を追おうか悩んだが流石にアーシェルと獅奈希だけにはしておけず、さっさと赤黒い生物を倒そうと刀を構えた、が。

 

「桜夜様~~!」

 

桜夜にとっては聞き慣れている女性の声が辺りに聞こえ、桜夜が「あ?」と上を見上げた瞬間。桜夜の真上に穴が空き、そこから見覚えのあり過ぎる女性と男性が落ちて来た。

 

「げっ!律…俺の上!どあっ!」

 

どすん!と真上から落ちて来た二人の体重を受け止められず、桜夜は地面に倒れる形となり情けない悲鳴を上げた。

 

「着地失敗しちゃいましたぁ~!すみませぇん、桜夜様ぁ」

 

桜夜の真上から落ちて来た女性は朔夜の実母である律と男性の方は朔夜の実父である刹夜だ。

 

「律、お前は絶対に計算して落ちて来たんだろ…」

 

クッション代わりにさせられた桜夜は怒りで震えていたがサディストな律は桜夜をイジメるのが大好きな為、桜夜が反応すればするほどイジメて来る。

どっちが上司なんだと言ってやりたいが桜夜は我慢して律を見た。

 

「で、律」

「はい。桜夜様を助けに参りました!」

 

ニコッと花のような可憐な微笑みを浮かべた律。

 

「じゃあ、後は頼んだ。俺は錐夜の後を追う」

「行ってらっしゃい。桜夜様」

 

律と刹夜がいればアーシェルと獅奈希も大丈夫だろう。律は真性封印種で桜夜が長年共にいた愛弟子兼部下だ。

 

「獅奈希、アーシェル。律と刹夜を置いて行くからあの魔神を倒せ。刹夜、この場を仕切るの任せたぞ」

 

そう告げて桜夜はすぐに錐夜の後を追った。律は桜夜を見送った後、男性の律夜の姿になり愛刀を構えた。

 

「さて、初めて会うがよろしくな。アーシェル、獅奈希」

 


49.

パキィン!と硝子が割れたような高い音が辺りに響いた後、塚本の張っていた結界が粉々に砕け散った。

黒夜の白銀の髪が美しく哀しく揺れる、黒夜は無表情で辺りを見つめる。自分と戦っていた神音も光夜も先程の一撃で意識を失っている。

静輝は寸前で光夜が覆い被さった為に外傷はほとんど見受けられないが意識は無いようだ。珠皇も塚本も床に倒れてピクリとも動かない。黒夜は刀を握り締め、鈴の方を向こうとした。

 

「師匠」

 

凜とした少女の声が黒夜を呼んだ。黒夜は愛しい少女の声にゆっくり少女の方を向いた。

 

「…エルトレス」

 

倒れている者達を庇う様に立つエルトレス。黒夜は愛しいエルトレスを見つめ、ゆっくりとした歩みでエルトレスの前へと歩み寄った。

 

「師匠、私は師匠を取り戻したい」

「……」

「そして、大切な人達を守りたい」

「………」

 

黒夜をエルトレスは真っ直ぐ見つめる。母親 翡翠によく似た強い意志を秘めた瞳。

 

「守りたい、取り戻したい…そんな甘い考えでは何も守れないぞ。大切な者を守りたければ何かを犠牲にしなければいけない!」

 

黒夜の声。エルトレスには黒夜の言葉が哀しく響く。まるで自分を殺してくれと黒夜が言っているようにも聞こえるのだ。

「師匠、私は…お母さんの子供ですよ。私もお母さんも欲張りなの知ってるでしょう?」

 

エルトレスはそう言ってニコリと微笑む。大切な人達は何が何でも守りたいのだ。その意地は母親譲りだとエルトレスも思っている。

 

「なら、私に示してみせろ。」

 

黒夜は刀の切っ先をエルトレスに向けた。エルトレスは切っ先を向けられても凛然たる姿勢を崩さず、微笑む。

 

「行きます!師匠」

 

エルトレスは地面を蹴り跳ぶ。黒夜の刀の刃をすり抜けて黒夜の懐へと飛び込み握った拳を黒夜の腕へと向ける。

黒夜は刀の柄を握っていない方の腕でエルトレスの拳を受け止めた。

向けた拳を黒夜に受け止められ握られたエルトレスは背後から迫る黒夜の刀の刃を感じ取り空いている方の腕の手で刀の刃を掴む。

勿論、刀の刃が手に食い込み痛みと共に血が流れるが構わずエルトレスは踵落としで地面を割砕き衝撃を起こす。

黒夜はエルトレスの手を離し、エルトレスから距離を取るために後方へと跳躍する。

 

「エルトレス…」

 

互いに距離を取っていても二人の視線は真っ直ぐに互いを見ている。

敵同士になっていても二人の想いはいつも同じだ。

 

「師匠…私は…」

 

互いにすれ違った道を歩んでいても心はいつだって…

傍にある。