00.bloodcross

序章「月華の夜に舞う者」

01.

満月がぼんやりと照らす夜空。

星は光瞬き静寂が支配する。

 

しかし、その静寂は一時奪われる。

 

ドシュッと鈍い音と共に黒い液体が地面に落ちる。

ぬるりとした感触は血に似ていて気味が悪い。

ゴトゴトと斬られた胴体や首が地面に転がり辺りに焦げた臭いが立ち込めた。

 

「……誇り無き魔性の使いめ。」

 

地面に転がった頭を足で踏み潰して彼は呟く。

潰された頭は黒い液体となり広がって地面に吸い込まれる様に消えていった。

 

「…ふん。」

 

夜の闇の中、月に照らされ彼の姿が現れる。

長い銀の髪に青い瞳。

端正な顔立ちに白い肌の美しい姿の青年は片手に剣を握り締め静寂に包まれた街中を歩く。

 

「…にしても貴方様がお出にならずとも私たちがやりますのに」

 

銀の髪の青年の足元に跪いて黒い短い髪と鮮血の様な赤い瞳の執事格好の青年は微笑んだ。

 

「…構わん。奴らへの見せしめだ」

 

特に気にもしないで銀の髪の青年はスタスタと歩く。

 

「御意。シルヴァリス様」

 

執事格好の黒い髪の青年は眼鏡の縁の位置を指先で直すと前を歩いていく銀の髪の青年シルヴァリスへ礼をし後に続いた。


02.

月は鏡。

夜は招魂。

 

月夜は世界と異界を繋ぐ。

それ故か月夜の晩は異世界より来る魔神(まがみ)と呼ばれる異形の生物が現れやすい。

 

そして人あらざる人、誇りを失った魔性の活動を活発化させる。

活発化した魔神や魔性は人を襲い血肉を求める。

 

 

悪しき欲望の本能のままに行動する魔神と堕ちた魔性を野放しにはして置けず政府は人外の一族に助けを求めた。

 

美しい人の姿をした吸血鬼一族『夜一族』。

 

彼らは不老不死とされ病魔や老いでは死なないと言われる。

吸血鬼一族『夜一族』は他の人外の一族に比べて社交的。

政府は魔神や魔性の討伐依頼を『夜一族』に頼む事にしたのだ。

 

「………それで?」

 

頭を下げて土下座までさせて事の一部始終を聞いた吸血鬼一族『夜一族』の長は厳しく眉を寄せて土下座する政府調査官を睨みつけた。

長は銀の長い髪に吸血鬼一族の証とされる深紅の瞳、美しい美貌を持った青年だがその顔立ちで睨まれると二倍の迫力があって怖い。

土下座していた政府調査官は冷や汗を額から流す。

この厳格な雰囲気が無ければ相当、異性を魅了していた筈。

 

(恨みますよ…塚本さん)

 

塚本は「美形がいるよ」とこの仕事をこの政府調査官に押しつけて来た。

正直引き受けた事に政府調査官は今更ながら後悔し始める。


03.

確かに目の前に座る夜一族の長は美しく見惚れるがこんなに威圧感と苦労に悩ませられるなら引き受けなかった方が幸せだった。

 

しかし、仕事は仕事。

このまま引き下がるつもりは無い。

 

「どうかお聞き頂きたい。我々、人間はこの世界の裏を知りませんし知ってはならない。ですから、あなたがた一族に頼む以外無いのです。」

 

誠意を込めて説得する以外、方法は無い。

悠久の時を渡る彼らに下手な小細工は通用しない。

政府調査官は拳を握り締めて声を振り絞る。

 

「弱い我ら人間を哀れだと少しでも思って下さるなら…どうか…」

 

人間の力で魔神が倒せない以上、縋るしかない。

 

政府調査官は世界の重みを背中に背負って説得を続けた。


04.

「頑張るな、あの調査官。」

 

長い金色の髪を一つに束ね瞳は鮮血の如く深紅の色を宿している。

美しい顔立ちに長身で細身な体。

誰もがため息をつくような美形の青年は部屋の外の壁に寄りかかり呟いた。

 

「兄上相手にしたらきっと胃薬欲しくなるよ」

「後で差し入れてやるか」

「お、優しいね。普段男の人は相手にしないくせに。」

 

からかう様な茶化す声が楽しげに笑う。

美形の青年は特に気にもしないで壁に寄りかかり調査官と長の話に耳を傾けた。

 

(…………)

「な~にを考えているのかな?錐夜(きりや)」

 

クスクスと可愛らしくも意地悪く笑う少女に美形の青年…錐夜は微笑む。

 

「本当にかなわないな。宵夜(しょうや)には」

 

錐夜のその言葉に満足したように宵夜は微笑む。

 

「何年、親友やってると思ってるのさ」

 

キラキラと月の光で照らされる宵夜の金の髪と深紅の瞳。

 

元気で明るい少女は満足そうにとびっきりの笑顔を錐夜に向けた。


05.

人間社会から離れた山奥に住む『夜一族』。

不老不死とされた人外の一族。

彼らは人との関わりを嫌う。

 

「…叔父上相手に随分、難儀してるな」

 

錐夜はクスリと笑う。

綺麗な髪に綺麗な顔立ち、そんな彼の笑みはやはり何倍も綺麗だと長の説得を一時中断し宵夜の家にて休憩中の調査官は思った。

 

「やっぱり、ここの人は皆様お綺麗ですね。思わず顔を赤らめてしまう」

 

異端者といえど綺麗なものは綺麗だ。

調査官は己の気持ちを素直に口にする。

ここに来る前『夜一族の協力を』と政府議員に提案した所、政府議員の約半数は反論して来た。

当然だと言えば当然だ。

『異端の一族』、『未知の力』人々はそういった者を昔から嫌う。

しかし、自分の上司であり政府議員の一人だった「塚本さん」は唯、一人その意見を押してくれた。

 

今、彼らの力に縋らねば

  人々は生き長らえる事は―

 

「何故、人に味方する?」

 

突然、錐夜は酷薄の笑みを浮かべ鋭い瞳を調査官に向けた。

調査官はその質問に驚いく。

 

「……!」

 

黒いサングラスにワイシャツを着て黒いネクタイを締め上下黒いスーツを着た『政府調査官』。

悠久の時を渡る彼らに隠し事など出来ないのだろうか?

 

「お前は俺達と同じ存在だろ?」

 


06.

錐夜の問いに政府調査官は息を飲んだ。

『同じ存在』だとこうもあっさり見抜かれるとは予想外だった。

政府調査官は錐夜を見つめる。

錐夜は余裕の微笑みを浮かべ政府調査官の答えを待った。

 

「それを知ってどうするのですか?」

 

政府調査官は必死の思いで声を振り絞った。

心は動揺して「どくんどくん」と心臓が高鳴っている。

錐夜は動揺が見えている政府調査官を見て(イジメ過ぎたか…)と感じ政府調査官の頭に手を置き頭を撫でてやった。

 

「…………!」

 

頭を撫でられた事に政府調査官は驚き錐夜を見つめた。

 

「すまないな。お前が何故、人間を守ろうとするのか知りたくてな」

 

その錐夜に政府調査官は初めて肩の力が抜けた気がした。

 

雨と涙に濡れたあの日の私に

 傘をくれた「塚本さん」。

 

「…雨に濡れた私を救ってくれた人に恩を返したいんです。」

 

そう言った政府調査官の瞳と表情を見て錐夜は優しく微笑む。

その瞳と表情に自分も覚えがあるから。

 

「…俺が協力しよう。」

 

力強い声に政府調査官は一瞬あっけにとられたがすぐに我にかえり嬉しさで瞳から涙が零れた。


07.

『俺が協力しよう』

 

力強い錐夜の答え。

政府調査官はその答えが嬉しくて思わず錐夜の手を握って「ありがとう」と瞳から涙を零した。

 

「やっと…」

 

錐夜の答えにやっと道が開けたかのように感じた政府調査官は張りつめていた緊張の糸が切れたのか力無く倒れた。

とっさに政府調査官の背中に腕を回して錐夜は政府調査官の体を支える。

 

「リースラート。失われた筈の血族の生き残りが何故…」

 

緊張の糸が切れ今まで眠れていなかったのだろう政府調査官『リースラート』はようやく眠りについていた。

錐夜は規則正しい寝息をたてているリースラートの体を軽々抱き上げる。

 

「調べてみるかい?錐夜」

 

錐夜の背後の部屋の影から聞こえる青年の声に錐夜は「…そうだな」と少し悩む。

 

「……叔父上やあのじじいに極力バレないようにやれるか?」

 

錐夜がそう言うと影の中にいる青年は「大丈夫だよ」と呟いたので錐夜は彼に任せた。

錐夜にとってこの一族の長『白夜(びゃくや)』は母方の兄にあたる。

この一族で生まれる事はほとんど無いと言われる『死醒種』で戦えば勝ち目は無い。

そして、白夜の父親であり錐夜の祖父にあたり『死醒種』の血を持つこの一族の先代の長だった『神夜(しんや)』。

この二人に動かれると後々、面倒だ。

政府調査官『リースラート』の正体が知れない内に『夜一族』から出ねば『リースラート』は一族に保護され決してこの一族から抜けられなくなる。

 

(何故、今になって…)

 

失われた筈の血族がこの一族に現れたのか。

錐夜は腕の中で眠る『リースラート』を見てこれから起きる事に危機感を抱いた。


08.

リースラートを宵夜に預けて錐夜は一度、自分の家に戻った。錐夜は訳あって長である白夜の屋敷の離れの家に住んでいる。監視と幽閉を兼ねて錐夜は幼い頃から離れに住まわされているのだ。

錐夜はつい最近、剣の師匠でもある黒夜(くろや)の屋敷に寝泊まりしている事が多いから自分の部屋に帰るのは久しぶり。

黒夜は白夜の剣の師匠でもあるので錐夜の身柄を白夜に進言して黒夜が錐夜を預かってくれているようだ。

 

そして、錐夜には特殊な能力がある。幼い頃から幽閉され監視されているのはその能力のせいだ。

 

錐夜は自分の部屋に戻る。素っ気ない何も無い部屋で錐夜は纏っていた着流しを脱ぎ捨てた。

 

「錐夜、風邪を引く」

 

低い声と共に錐夜の身体にフワリと着流しがかけらられる。錐夜は後ろを振り返らず顔を俯かせる。

 

「……師匠……」

 

錐夜は言いづらそうに口を動かす。声が出ない。言わなきゃいけない事があるのに。

 

「行くのか?錐夜」

 

黒くて長い髪、赤い瞳。美しい顔立ちに高い身長の男性。彼が錐夜と白夜の剣の師匠の黒夜(くろや)だ。

黒夜は錐夜の身体を抱き締める。

 

「…エル…」

 

黒夜が呼ぶと錐夜の身体が徐々に変化する。身長も低くなりかなり身体も華奢になっていく。髪も短くなり容姿も変わる。その姿形は完全な少女だ。これが錐夜が幼い頃から幽閉され監視され続けている理由。

黒夜は錐夜もとい少女エルトレスの頬を撫でる。

くすぐったそうにするエルトレスは頬を撫でる黒夜の手に自分の手を重ねた。

 

「どんな事があっても必ず師匠の傍に帰って来ます」

 

エルトレスはそう言って柔らかな微笑みを浮かべる。黒夜はエルトレスを抱きすくめる。

 

「約束だ。エル」 

 

月明かりが二人を照らす。

月への願いは一つ。

どうか『帰ってこれますように…』と。

 

しかし、

 

時に

運命は残酷な決断をする。

 

願いも祈りも全て

 消し去るように…

 


09.

『…リース』

 

低く透き通る優しい声。

あなたのその声が好きだった。

愛していた。

その手に触れれば切ない気持ちが胸を高鳴らせる。

 

けれど、私はあなたの隣りに

いてはいけなかった。

だって…あなたの隣りに

いるべき人は―‥

 

「……あ」

 

閉じていた瞼を開ける視界に映ったのは白い天井。

ベッドの上で眠っていた政府調査官『リースラート』は上体を起こし今現在の状況を思い出そうとした。

普通に生きる人々を魔神から助けたくてリースラートは夜一族と呼ばれる人外の一族に協力を求めてその一族の里を訪れた。

そしてそこで出逢った錐夜という青年の協力を得て………。

 

「オハヨー。リースラートちゃん」

 

突然声をかけられてリースラートは身構える。

先ほどまで全く気配を感じなかったのに。

リースラートは自分の名前を呼んだ人物を睨み付けた。

リースラートに声をかけた人物は「怖いヨ~」と情けない声を出して部屋の隅から歩きリースラートに近づいて来た。

金と銀に煌めく髪を後ろでまとめ夜一族の証といえよう真紅の瞳は澄んだ輝きを放っている。

美しい外見のまだ10代後半に見える青年。

どうもこの一族は「美意識」という感覚を狂わせる美形揃いだ。

 

「どうして私の名前を…!!」

 

リースラートは警戒心を強くし目の前にいる青年に強く言うと青年はおどけた様ないたずらな笑みを浮かべる。

 

「失われた一族の生き残りは今や二人しかこの世にいない、しかし一人はシルヴァリスの妻。そーすると今ここにいるのはリースラートちゃん…いや、癒月の君かナ?」

 

嬉しそうに笑う青年を見てリースラートの心に警告音が鳴り響く。

目の前の青年は錐夜とは違い安心していい様な人物では無い。

リースラートは唇を噛み締める。


10.

「アハハ、そんなに警戒しないで~。リラックスしよ!リラッ~クス」

 

青年はわざとらしい笑みを浮かべてリースラートをなだめる。

青年の飄々とした口調と感じにリースラートは益々警戒した。

 

「…あやや、リラックスしてくれないネ~。」

 

青年は困った表情を浮かべる。

 

「リラックスも何も名前を知らない人と落ち着いて話せるほど私は肝がすわってないの」

 

キッと睨み付けリースラートは強い口調で青年に警戒心剥き出しで話す。

それを聞いて青年は「なるほど~」と感心しにっこり笑った。

 

「私の名前は神夜。自己紹介遅れちゃったネ~」

 

青年…神夜はそう言って柔らかい笑みを浮かべた。

その微笑みが一瞬、錐夜と重なる。

リースラートは目を見開いて神夜の顔を見つめた。

 

(似てる筈が無い…)

 

髪の色も表情も姿形も。

似ていないのにどうして神夜と錐夜が重なるのかリースラートは我が目を疑った。

 

「どうかした?リースラートちゃん」

 

神夜はリースラートの異変を疑問に思いリースラートの顔を覗き込んだ。

リースラートは神夜の声に我にかえり首を横にふった。

 

「…何でもないです。あの、神夜さんどうしてここに?」

 

リースラートは恐る恐る神夜の顔を見つめて聞くと神夜は「…あ!」とここに来た理由を思い出したらしい。

 

「そうだった。実はリースラートちゃんにお願いがあってね」

 

神夜はアハハと忘れていた事をごまかす様に笑うとリースラートの頭を撫でる。

 

「………お願い?」

 

リースラートは自分に何を願うのかと首を傾げた。

ただ、その時の神夜の瞳はとても優しげでまるでリースラートが幼い頃になくした父親の面影をリースラートは感じた。


11.

「そう、お願い。」

 

神夜はニッコリと笑う。

その笑みや口調は掴み所が無いとリースラートは感じた。

 

「君がここにいる事は見なかった事にする。…お願いはね、錐夜達を連れ去って欲しい事」

 

神夜は慈しむように微笑む。

その笑みは決して嘘では無いのだろう。

リースラートは黙って神夜の言葉を聞いた。

 

「…自由に生きさせてあげたい…」

 

その願いはあまりにも切なくリースラートの心に響いた。

『自由に』そう聞いてこの人は錐夜達を心の底から愛しているんだろうとリースラートは感じる。

リースラートは夜一族の事はあまり知らないが内側での争いが絶えない一族だと聞いた事があった。

 

「……神夜さん」

 

それでもそれを錐夜達が望むかは解らないけれど。

リースラートは神夜の目を見つめた。

 

「…錐夜達がそれを望むかは解りませんが錐夜達が望んだ時…」

 

きっと私は錐夜達の望みを叶えると思いますとリースラートは小さい声で神夜に言った。

それを聞いた神夜は嬉しそうに笑う。

 

「ありがとう。…お礼に良いこと教えてあげるヨ…明日、出立する時は南の森を抜けて行きなさい」

「…え?」

「…手配しておくよ。だから南の森を抜けて行きなさい」

 

リースラートは驚いて目を見開いた。

神夜はいたずらっ子のような笑みを浮かべてリースラートのいた部屋を出て行った。

部屋に残されたリースラートは窓から見える外を見つめため息をつく。

 

(願い…私の願い…)

 


12.

解っていた事なのに…

 

『……お前は誰だ?』

 

その言葉を聞いた時リースラートは初めて心から泣いた。

屋敷を飛び出して雨にうたれ涙を流し(すべて忘れられたら…)。

けれど想いは今も色濃く残る。

しかしこの結果を選んだのもリースラートだった。

 

『……大丈夫かい?』

 

雨に濡れたリースラートに傘を与えてくれて行く宛が無いと言ったら自分の下で働かせてくれた『塚本さん』。

優しくけれど迷う事なく進む人。

リースラートは二度目の恋をした。

しかし、彼が奥さんを一途に想ってると知った時からリースラートは失恋したがそれでもそんな人だからきっと好きになったのだろう。

けれど色褪せない想いはリースラートを幸せから遠ざける。

 

『リース…歌って欲しい。私が眠るまで』

『あんな歌で良いの?』

『…私には最高の歌だよ』

 

歩かなければいけない。

幸せだった記憶を頼りに。

リースラートは歩み続けなければいけないのだから。

 

大切な人達を守るために。

 


13.

「調子はどうだ?」

 

リースラートを寝かせ部屋から出て行っていた錐夜が戻って来てリースラートの傍の椅子に座ってリースラートに聞く。

リースラートは曖昧な笑みを浮かべる。

 

「…大丈夫」

 

正直言ってまだ体に気だるさが残っているがやはり錐夜に嘘はつけないらしく体調の悪さを見抜かれていた様だ。

錐夜はリースラートの返事に「そうか」と答え部屋を見回した。

 

「…でじじいは何て言ってた?」

 

錐夜はため息をつきリースラートに聞くとリースラートは首を傾げた。

 

「…じじい?」

 

この部屋に来たのは『神夜』だけだ。

リースラートは『じじい』の意味が解らず首を傾げている。

 

「…神夜のじじいだ。」

 

錐夜が言いにくそうにリースラートに答えるとリースラートは目を見開き心底、驚く。

 

「じじい…ってまだ10代に見えたよ?!」

 

あの姿形、どう見ても10代だとリースラートは思ったが真実は違うらしい。

 

「じじいは齢千はいってる」

 

錐夜の答えにリースラートは目を丸くし夜一族の凄さを改めて知った。

不老不死とは聞いていたがまさか本当だったとは…。

 

リースラートの視界がぐらりと揺らいだ。


14.

「…そんなに驚くことか?」

 

ごく当たり前のように言う錐夜に思わずリースラートは「驚くわよ」と情けない声を上げた。

 

「齢千ってなかなかいないわよ。いくら不老不死といえど戦いで死ぬものは少なくない世界よ」

 

人外の一族のほとんどが不老不死だが病気や老いでは死なないだけで傷を負えば死に繋がる事もある。

特に夜一族といえば常に戦いに身をおく種族だ。

その一族の中で千年の時を過ごしている神夜は相当強い力の持ち主なのだろう。

 

『神夜も私も途方に生きて…それだけの罪を…』

 

強い力を持つからこそ長い時を生きてそれだけの失われていく命を見送らなければいけない。

そんな人生を終わらせたいと願い自ら身を投げる者もいる。

神夜は長い時間を過ごしずっと消えゆく命を見つめて来たのだろう。

錐夜はそんな彼を切なく思う。

 

「先代の長だったからな。あの人、力だけは強いんだよ」

 

錐夜はリースラートにそう答える。

するとリースラートは益々、驚いた。

 

「先代っ?!って事は…」

 

神夜はあの威厳と威圧感の塊のような現在長・白夜の父親という事だ。

どっから見ても白夜の方が年上に見える。

 

「…不思議だ夜一族……」

「まあ、いずれは慣れる」

 

人外の一族の出身であるリースラートだが父親も母親も早くに戦死しあまり長命の者と関わりがない。

故に夜一族との関わりは正直驚きの連続だ。


15.

「…でじじいに何言われた?」

 

錐夜がそう問うとリースラートは一瞬困ったように笑った。

 

「錐夜達の事頼むって言われたよ?」

 

リースラートがそう答えると錐夜は忌々しげに舌打ちする。

リースラートにそれを言うという事は神夜に『最初から全て知られていた』という事になる。

つまり白夜は既に動き早く一族の里から抜けねばリースラートの身が危ない。

 

「リース!早くここから出るぞ!」

 

錐夜は声を上げリースラートの腕を掴み引き寄せる。

錐夜の行動にリースラートは目を開き「はい?」と情けない声を出し驚く。

 

「細かい事は後で話す!朔っ!」

 

リースラートを抱き上げ錐夜は足で部屋の窓を蹴破ると部屋の隅に向かって名前を呼ぶ。

部屋の隅には大きな棚がありその影から金髪の綺麗な爽やかな『朔』と呼ばれた青年が現れる。

 

「はいよー、任せなさい。」

 

いたずらな笑みを浮かべ朔は部屋の中に立ち錐夜に向かってヒラヒラと手を振った。

 

「後で必ず来い」

「了解!」

 

錐夜はリースラートを抱えたまま外に出た。

錐夜とリースラートを見送り朔は愛刀二本を手にし部屋の扉を蹴破って来た長の使いを見据えた。

 

「…!宵夜殿では無い?!貴様何者だ!」

 

この家の主である『宵夜』は長・白夜の弟。

白夜より『宵夜』の身柄を捕らえリースラートを保護しろとの命令で来たのだろうと朔は思い息をつく。

 

「残念だったね。ま、とりあえず俺の相手してね」

 

愛刀二本を構えて朔はニッコリ笑顔で長の使いを挑発した。

長の使いもいきなり現れた見知らぬ一族の者に混乱するも刀を抜き朔の方へと走っていく。


16.

ギイイィィン!という金属音が部屋に鳴り響く。

 

朔は愛刀二本で長の使い二人を相手にしている。

長の使いといえど本当の使いで長の傍らにいる精鋭では無いらしい。

実戦経験がほとんど無い事は戦えば直ぐに解る。

 

(ま、あんまり遊んでると錐夜達に追いつけなくなるね)

 

愛刀二本の刃を返し、鉄部分で素早く使い二人の懐に飛び込んでなぎ払い部屋の壁に叩きつける。

使い二人は壁に叩きつけられた衝撃で意識を飛ばしずるずると崩れ落ちた。

朔はそんな使い二人を見て(貧弱だねー)と失礼な事を思いながらも朔は割られた窓を飛び越えて錐夜達の後を追う。

 

(…兄上…)

 

朔は三階建ての家の屋根に跳躍出来そうなぐらい高く跳躍し今までいた家のすぐ近くにある白夜の屋敷を振り返って見つめた。

 

(…幸せになって下さい。)

 

朔は心の中でそう願うと前を見て錐夜達の後を追った。


17.

「錐夜!急過ぎて私には何がなんだか…」

 

いまだに錐夜に抱えられたままのリースラートは錐夜の腕の中で情けない声を上げた。

錐夜本人は無表情のまま跳躍し建物の影に隠れ里の外…つまり森の方をじっと見つめ舌打ちをする。

 

「…どこも見張られているな」

 

里のある山には結界が張られていて人外の一族でなければ迷いいつの間にか山の入り口付近に戻っているという仕組みになっている。

結界は錐夜や朔は通り抜けられるので問題は無い。

問題は森に潜む一族の精鋭達をかわし山を出られるかだ。

戦う力の無いリースラートを庇ってどこまでいけるか…と錐夜が頭の中で思考を巡らせているとリースラートは何かを思い出す。

 

「……神夜さんが南に行きなさいって行ってた」

 

リースラートがそう言うと錐夜は意外そうな表情を浮かべリースラートを抱えたまま走り出した。

 

(…錐夜?)

 

無表情で無言のまま南へ向かい走る錐夜の表情はどこか怒っているように感じた。

神夜さんと錐夜に何かあったのだろうか?とリースラートは思ったが口にださずにいた。

 

リースラートを抱えた錐夜が南の方へ向かっている最中にふいに錐夜は走るのを止め立ち止まった。

 

「水くさいですねぇ。錐夜」

 

夜一族には珍しい紫の髪を三つ編みに結った眼鏡の奥に輝く澄んだ真紅の瞳。

女性か男性かは解らないが顔の整った綺麗な人が南へ向かう道に立っていた。


18.

「…静輝…」

 

錐夜が小さくそう呟くと「静輝」と呼ばれた紫の髪の人物は静かに微笑んだ。

その微笑みも男性の様な女性の様な感じがして不思議な人だとリースラートは思う。

 

「錐夜も朔もいつも私を置いて行ってしまいますね」

 

静輝は悲しそうな表情をする。

こんな美人に悲しそうな表情をされたら誰だって「うっ」と罪悪感を感じるが錐夜はいたって無表情のまま睨みつけるように静輝に視線を向けていた。

 

「…静輝…何故俺がここに来ると解った?」

 

錐夜は警戒しながら静輝の目を見ると静輝は相変わらず穏やかな表情を浮かべている。

 

(見張りのいる所よりも手薄な南に行けばとかじゃないのかしら?)

 

普通に考えれば見張りのいる、北東西より手薄な南の方へ錐夜は向かうと解れば南へ行き錐夜と会うという風に考えるがしかし逢ったばかりのリースラートは錐夜の性格を完全に掴みきれていない。

 

「面倒は死ぬほど大嫌いなものぐさな錐夜の事だから最初は北東西に行き戦っている気配がある方に貴方はいると考えたのですが…」

 

静輝はかけていた眼鏡のズレを直しため息をつく。

「面倒が死ぬほど大嫌い」「ものぐさ」と言われた錐夜をリースラートは見つめると静輝から錐夜は目を逸らしていた。

どうやら図星らしい。

 

「ただ南の方だけはやけに見張りが手薄なのを知り恐らく神夜様が手を回したのでは?と考えて考えぬいた結果、南と答えが出ました」

 

出した答え通り錐夜が南に来た事に満足したのか静輝はにっこりと満面の笑顔を浮かべる。

 

「…朔といい静といい」

 

錐夜はどうやら朔や静輝の口にはかなわないらしく早くも降参気味だ。

 

「…覚悟の上なのですから許して下さい」

 

先ほどよりも穏やかで悲しそうな笑顔を浮かべて静輝は錐夜に語りかける。

 

「…貴方の悲しみも痛みも私は一緒に背負いたいのです」

 


19.

「本当に良いのか?」

 

ため息をつき観念したのか錐夜はやや呆れ気味に静輝(しずき)に問う。

 

「…良いのです。例えあの人と戦う事になろうとも…私は決めたのですから」

 

静輝はふわりとした柔らかくも悲壮な決意のこもった微笑みを浮かべた。

朔同様、静輝も言い出したら絶対にそれを通す。

それは長年彼等と過ごした錐夜ならよく知っている事だ。

 

「…解った。お前の好きにしろ」

 

錐夜は静輝に短くそう告げる。

静輝は「ありがとうございます」と嬉しそうな微笑みを錐夜に向けた。

リースラートはそんな二人を見て微笑ましく感じるも失った妹との絆を思い出し顔を俯かせた。

 

(ウィルシェ…)

 

自分を裏切ったこの世で最後の肉親。

どうして妹は裏切ったのか今でも解らない。

リースラートは一人顔を俯かせ暗い表情をしていると静輝がリースラートの頭を撫でた。

 

「暗い事を考えると幸せは逃げてしまいます。」

 

優しい表情を浮かべて笑ってくれる静輝と無表情だがちゃんと優しい錐夜。

リースラートの受けた心の傷。

決して癒されない傷が少しずつ変わり始めている。

 

「…行くぞ。静輝、リースラートを頼む」

 

厳しい表情を浮かべている錐夜がそう言うと静輝は頷いてリースラートの手を握る。


20.

錐夜は刀を抜き森を掛ける。

リースラートは静輝に手を引かれ走った。

 

夜一族の宵夜と呼ばれる屋敷で休憩を取り今夜一族から急いで抜ける事に疑問をリースラートは抱いたが今は目の前の錐夜達を信じるしかない。

ここを抜ければ錐夜は話すと言ってくれたのだから。

 

「……何もしてこないな」

 

ふいに錐夜が周りの気配を伺い走りながらそう呟いた。

 

「顔ぶれから察するにどうやらあまり実戦経験の無い方々ばかりで…」

 

きっと今頃、戦おうか報告すべきか迷っているのでしょう、と静輝が辺りに隠れている気配を見て微笑む。

 

「…なるほど。」

 

「喰えないじじい」だと錐夜は小さく呟いた。

リースラートがこの一族に来た最初からリースラートの正体に気づき錐夜の行動を予測し手薄な警備を一カ所作り上げ神夜は錐夜達を逃がす手筈を整えたのだろう。

 

「……最後の力でしょうかね」

 

静輝がそう呟くと前を走っている錐夜の横顔が辛そうな表情だった。

 

「…先を急ごう。朔夜が待っている」

 

錐夜の声がどこか悲しそうだったがリースラートは追求出来ず錐夜の言葉に頷いた。

 

(錐夜も抱えてるんだね)

 

『守りたい何か』が。

リースラートは錐夜の背中を見つめ目を伏せる。

大切なモノを守りたい。

今はその目的の為に先を急がなければいけない。

リースラートは伏せた目を真っ直ぐ前に見させ先を急ぐ事にした。


21.

「おっそーい」

 

先ほど追っ手を防ぐために錐夜とリースラートを先に行かせた筈の朔が山を降り人里が見える位置の高さまで来た所で口を尖らせて朔は降りて来た錐夜達に行った。

 

「…………………」

 

錐夜は先に行って待っているつもりだったのだろう。

言葉無く朔を見つめた。

 

「あ!静輝!やっぱり来たんだ」

 

嬉しそうな笑顔で朔は静輝にブンブンと大げさに手を振った。

 

「朔夜、早いですね」

 

にっこりと穏やかな笑顔で静輝は朔を迎える。

 

「まあ、俺には造作ないけどね!リースちゃんは怪我ない?」

 

朔は静輝の後ろにいたリースラートの方へ歩み寄ると手を握って嬉しそうに笑う。

 

「は…はい!大丈夫です」

 

リースラートはいきなり手を握られ驚いたのか緊張気味に朔に答える。

朔はその答えに安心したのかリースラートの体を抱きしめた。

 

「良かった!リースちゃんに何かあったら大変だからね。あ、俺は朔夜。気軽に呼んで」

 

朔夜の言葉にリースラートは抱き締められ顔を赤く染め緊張しながら「は…はい!」と答えた。

 

「朔夜、抱きつくのは構わないが人里についてからやってくれないか?」

 

錐夜はやや呆れ気味に朔夜にそう告げると朔夜は「そうだね」とリースラートの体を離し静輝にリースラートを預けた。


22.

『ははうえ』

 

まだ小さく幼い頃錐夜はよく母の手を握り山を散歩した。

ふいに錐夜は母の顔を見上げ母を呼んだ。

 

『ん?どうした、エル』

 

母はしゃがみ、錐夜の頭を撫でて優しく微笑んだ。

その微笑みはいつだって優しくて幸せをくれる。

 

『どうして………と私とははうえは繋がっているの?』

 

幼い錐夜の純粋な質問に母は困ったように笑った。

まだ幼いとは言えしっかり両親の血を受け継いでいるのだろう。

 

『それは他の人に言っては駄目だよ。お父さんは何も知らないのだからね』

 

悲しい母の答えは錐夜にとっても悲しかった。

そして気づいた父は知らないのだと。

母が自分を産んだ事を。

 

『…うん…』

 

錐夜の返事に母は錐夜を抱きしめて「すまない」と短く謝った。

どんなに幼くても親の気持ちに子は敏感だ。

 

『…ごめんなさい。ははうえ』

 

錐夜は母が本当は泣きたい程辛いのが解ったからそれ以上、何も聞けなかった。


23.

(…今…のは…)

 

白昼夢なのだろうか。

あの頃の記憶を夢を見るなんて。

どうかしていると錐夜は首を横に振り先に行こうとした。

 

『エル…』

『ははうえ』

 

一瞬、幼い自分と手を繋ぐ母の姿が見えた。

幼い自分と母の姿は儚く直ぐに消える。

 

(…ここは母上と俺が…)

 

あの頃の自分は知らない。

この後自分は母の知り合いに預けられ母では無い人を母と呼ばなければならなくなると。

 

「…錐夜?」

 

錐夜の様子に気がついた朔夜は錐夜の顔を怪訝そうに見つめた。

 

「……どうかしましたか?」

 

静輝とリースラートも錐夜を見つめた。

錐夜はずっと一点を見つめて動かない。

 

「…錐夜…」

 

辛そうな表情がリースラートにも見て取れる。

そこがまさか錐夜と錐夜の母親が最後に会話したところだと誰も知らないが。

 

「…すまない。」

 

錐夜はただ短く謝った。

先に急がなければいけないのに足が全く動かない。

数年ぶりに母の姿を見たからなのか。

 

「…!…錐夜!」

 

何かの気配に気がついた朔夜が手をのばし錐夜の方へ駆け寄ろうとした。

だが黒い影に行く手を遮られる。

 

「錐夜っ!!」

 

リースラートを背後に庇い静輝も叫ぶ。

黒い影が錐夜を隠して見えない。


24.

雨が降る。

学校の教室の中で窓を通して見える雨。

いつもと変わらない雨の筈が雨に吸い込まれる様に食い入って見てしまう。

 

「…おい、真中?」

 

名前を呼ばれても返答が出来ない。

縫い付けられたように窓から離れられない。

 

(……私……は…)

 

ドクン、ドクンと体が熱いのを感じる。

今日の自分は変だと思うも何も出来ない。

 

『錐夜!!!』

 

ドクン!と心臓が高く脈打つ。

窓から見える雨の中、彼の姿が見えた。

金色の髪と真紅の瞳。

とても綺麗な人。

 

「…貴方は…………」

 

そう呟いた時、彼と目が合った。

そしてまるで暗い闇が広がって教室を呑み込んでいく。

そして闇の中にいるのは自分と彼だけだ。

 

「……神音(かのん)……!」

 

彼は驚いた表情で自分を見つめそう呼んだ。

『神音』それは自分の名前。

 

「…エル…ト……レス…」

 

どうして解るのだろう。

初めて逢ったばかりの彼の名前を。

 

「………神音!」

 

彼が手をのばして来る。

触れられないと解っていても手をのばして彼の手を握ろうとした。

 

その瞬間、眩い光が今まで覆っていた暗い闇を取り払っていく。

 

「真中!?」

 

いつもの教室、変わらぬ人々。

一瞬の出来事に力は抜け意識が遠のいた。

 

『………神音。貴方は…………』

 


25.

一瞬の刹那。

錐夜の白銀の刀の刃が黒い影を切り裂いた。

錐夜が動くと揺れる金の髪がキラキラと光るのが神秘的で思わず見惚れてしまう。

 

(…神音…)

 

まさか生きているとは思わなかった。

母の親友だった癒音(ゆのん)の娘。

向こうは錐夜の事を忘れている様だが…。

 

錐夜は先ほど切り裂いた黒い影を見た。

まだ形の無い生まれたての魔神(まがみ)だ。

錐夜に斬られた魔神はズズッと音をたてて地面に吸い込まれた。

 

「………………魔神?」

 

恐る恐ると朔夜が錐夜に聞くと錐夜は静かに頷いた。

錐夜の頷きに朔夜は表情を歪めしばらく黙り込む。

 

「……………?二人共どうかしたんですか?静輝さん」

 

突然、様子が変わった錐夜と朔夜を心配しリースラートはこっそり静輝に聞くと静輝は悲しそうな微笑みを浮かべた。

 

「…最近、魔神の活動が活発化しているのですが…それは夜一族が関与している可能性があるのです」

 

静輝は静かに答える。

それを聞いてリースラートは錐夜と朔夜を見た。

 

「俺達はそれを調べようと今回、リースラートに同行しようと考えたんだ。」

 

錐夜はリースラートの方へ歩み寄りリースラートの頭を撫でる。

 

「……錐夜……」

 

リースラートは心配そうに錐夜を見つめた。

今ここで魔神を見るまできっと信じていたのだろう。

今の錐夜の表情はとても傷ついている表情をしているから。

 

「…前に進もう。リース…」

 

錐夜の言葉にリースラートは頷く。

前に進まなければ始まらないのなら進まなければいけない。

 

大切な人を守る為に。

 


26.

一族の結界が守る山を降り錐夜達は予め待っていた政府機関の者に導かれ今は政府機関の建物の中のとある一室のソファーに腰を下ろしていた。

 

「………」

「…錐夜?」

 

山を降りここへ来る移動中も一切錐夜は喋ろうとしない。

リースラートは心配そうに名前を呼ぶも錐夜は一切返事をしなかった。

 

(…神音…)

 

何故、記憶という幻影に縛りつけられあの時動けなかった体が神音と出逢い動くようになったのか。

触れようとのばした手。

幻の世界なのだから触れられる筈は無いのに神音の手と一瞬掠った気がした。

 

(共鳴………?)

 

そもそも何故、神音と幻の世界で出会ったのだろう。

精神が作り出す幻の世界。

神音と己が共鳴しているのか。

ならばその理由は何故なのか。

 

(どのみち、神音と逢わなければならない…)

 

錐夜は一人ため息をつく。

そんな錐夜の頭を静輝が優しく叩いている。

「静輝?」

 

錐夜はようやく気がついて静輝を見つめると静輝は怒りを含んだ笑みで錐夜に答える。

 

「さっきからリースが何度も心配して錐夜を呼んでましたよ?」

 

それを聞いて錐夜はリースラートの方を見た。

リースラートは悲しそうな表情を浮かべやや落ち込んでいる様な雰囲気を漂わせている。

 

「……すまない……」

 

謝るしか無い。

錐夜はリースラートに頭を下げて謝るとリースラートはちらりと視線だけ錐夜に向けた。

 

(…このメンバーで大丈夫かねー?)

 

二人を見守りながら朔夜は心配する。

この先、どんな事があるか解らないのだから。


27.

「塚本 桂(つかもと けい)と申します。よくいらして下さいました。」

 

政府帰還の建物。

建物の一室に案内されソファーに腰を下ろした錐夜達の前に現れたのは白のワイシャツに黒のスーツを着た紳士的な青年だ。

 

「はじめまして。塚本さん」

 

朔夜がにこりと微笑んで塚本と握手する。

静輝はやはりいつも通り穏やかな微笑みを浮かべているが錐夜は興味無さそうに塚本を見ている。

 

「此処まで来て頂けるのにお疲れになったかと…。」

「…人外の一族はタフなのが取り柄なんで気にしないでくださいな。」

 

塚本の気遣いに朔夜は返すがどこか冷たい。

塚本という人物を計りかねているのだろう。

 

「解りました。…それでは今後についてお話させて頂きたいのですが」

「…そうだね。」

 

塚本の言葉に朔夜と静輝、リースラートは頷く。

独り錐夜は考え込んでいる様で一点を見つめたまま一切喋らない。

 

「魔神が現れ年々、被害は拡大し死亡者も出ております。それで皆様にはこちらより生活費を支給しますので普通の生活をして頂き魔神討伐を行って頂きたく…」

「普通の生活?…って事は一つの地域に絞るって事かい…?」

「その通りです。ある一族の情報収集によりますと魔神がこの世界に入って来る大きな亀裂が入っております地域が確認されたのです。そして、夜一族の方々ならその亀裂を封印する事が出来るのでは…?と思い」

「…なるほど、確かにそうですね。異界とこの世界の亀裂。そういったモノを封印出来る一族はそうはいませんからね」

 

異界とこの世界。

亀裂が入り世界の均衡は崩れ、魔神が世界を徘徊する。

さすれば魔神の陰の力で世界の陰と陽の均衡は壊れ『負の気』が満ち。

人々は負の気に感情を支配されれば互い争い合う。

そして負の気は大地と緑を汚しやがて星の死を招く。

それだけは避けねばならぬ。

 

そして何故、世界の均衡を守る筈の夜一族が亀裂を作り世界を殺そうとしているのか…。

 

塚本と話し合いをしながら朔夜と静輝は脳裏の片隅で考えた。

解らない事ばかりだ。

しかし、亀裂も魔神も夜一族は関わり合っている。


28.

生活費の支給。

活動する地域の特定。

一通りの話し合いが終わり錐夜達は早速その地域へ向かう事にした。

 

「これ以上、魔神を放っておくわけにはいかない。塚本さん、俺達はその地域に向かうよ」

 

朔夜は塚本と向き合いそう告げると塚本は一つの分厚い封筒を渡して来た。

朔夜はそれを受け取り封筒の中味を確認する。

中には100枚あると思われる札束と住所が書かれた紙が入っていた。

 

「塚本さん?」

「それは1ヶ月の生活費と報酬です。その紙はあなた方の住まいの住所です。命を危機とする事なのですから当然の報酬です。」

 

塚本は真剣な表情で朔夜に礼をした。

 

「よろしくお願いします」

 

塚本のその行動に朔夜は苦笑いを浮かべ「たいした奴だな」と小さく呟いた。

すると錐夜が塚本の前に立ち。

 

「……封印する。必ずな」

 

今まで喋らなかった錐夜は塚本にそう言うと塚本は安堵し穏やかに微笑んだ。


29.

「………」

 

漆黒の夜空に浮かぶ満月に照らされ輝く白銀の髪。

瞳は美しい真紅。

体躯は小柄で華奢だがはだけた衣服の胸元からのぞく筋肉質な体を見るところ少年なのだろう。

 

「…エルトレス…」

 

独り月に向かって呟く。

桜の花びらが舞い散る中で微笑む少女の記憶。

儚い幻の様でまるで泡沫の過ぎ去った夢の様。

そして記憶の少女は自分に『悠木(ひさぎ)』という名前をくれた。

 

「…人里に来ているのか…?」

 

ならば、自分は決断をしなければいけない。

人外の一族や魔神に関する記憶全てを背負い『悠木』の人格を守る『神音』。

何も知らず自分は人と信じている人格『悠木』。

本来一つの人格が分離し2つの人格となった事により力も2つに別れ魔神を倒すだけで精一杯だ。

亀裂を封印するには二つとなった人格をもう一度一つに戻さなければいけない。

 

「悠木は耐えられるだろうか?そうなった時に…」

 

少年は握っていた血の様に真紅な刃の愛刀を見つめ語りかける。

 

『悠木様も神音様です、そして神音様も悠木様です。』

 

愛刀は優しい口調で少年に答えた。

少年が生まれた時からずっと一緒だったのだ。

愛刀は少年にとって身近にいる理解者の一人。

 

「……そうだな。元は一つだったのだから。」

 

少年は満足そうに微笑む。

 

これから何が起きるか解らない。

故郷の里で何が起きているのかも解らない。

しかしそれは、彼女に逢えば解る事だ。

彼女は夜一族の最高血統の血を紡ぎ長に近い存在。

この街の亀裂に彼女が反応を示さない訳がない。

 

そして全ては始まりの序曲。